第十三章
プラシャーンティ ニラヤム(その四)
私には、自分はプラシャーンティ ニラヤムに住むのではなく、アメリカに住んで仕事をしながらババとの関係を確立すべきなのだということがはっきり分かってきた。私は何度もババがそのように話すのを聞いた。現在の生活をやめて、周囲との間に距離を置くために森林や山中の洞窟の中で暮らすのではなく、自分が現在いる場所で義務を果たし続けるように、・・・周囲の役に立ちながら、日々の生活の中でババの教えをだんだんと実践していくことにより、ババとの関係を深めなさい、と彼は言っていた。
私には、ババが肉体の姿よりもはるかに大きな存在に見えてきた。ババは、肉体の姿というより、本当は、その教え、その愛、その真実、その親切さそのものなのである。私は、肉体的に彼に近づこうとすることの無意味さを理解し始めていた。そして、自分がもしババとの真の接触を望むのであれば、霊的な次元で彼と融合することによってそれを達成しなければならないことに気づくようになった。私がババそのものになりきるまで、ババの教えとその精神を、私の生活の骨組みの中に一貫して織り込んでいかなければならないのだ。
第十四章
燃え尽きて灰に(その一)
二度目の旅から帰った後、重要なのは、肉体的にではなく、心理的、霊的にババの近くで暮らすことだという結論を得た。いつでも私の頭と心の中にババを置いておくことこそが大事なのである。私は、ババの教えをより勤勉に研究し、それらを生活の中で実践するために、真剣に努力するようになった。また私は、ヨーガや瞑想の修練を始めた。最終は短い時間不規則的に瞑想を行っていたが、徐々に朝と夕方、毎日二回ずつ規則的に行うようになった。私は実習をすればするほど、瞑想が好きになった。努力せずに、瞑想につぎ込む時間が増えていった。またバジャン グループにも参加するようになり、自分でもスタディー グループを始めた。そのため私は毎週何回かババの帰依者たちと会い、勉強会や帰依と奉仕の活動をするようになった。
私は自分に何が起きているかを観察するうちに、そこに起きていることに心を奪われてしまった。私の感情的な反応や思考の上での反応が変化してきたが、それは精神療法を長年続けた後に得られるような変化とは異なっていた。一定方向に吹き続ける強い風が、視界をさえぎる雲を吹き払うように、私の行う霊性修行によって、それまでに見たことのない内的次元が現れてきた。過去の私は、人々が、光や、拡大や、時間のない状態や、無限の愛などを体験したという話を聞いても、そうした感情は想像上のもの、幻想だと考えていた。今私は、自分の内に見出した、この広大な未知の世界に驚いている。人がある程度性的に成熟すると、オーガズムによって肉体的・感情的な開放感が与えられるのと同じように、もともとこの内的次元には、それが発見されて鍵が外されれば、我々をより高度な意識レベルへと解き放ってくれるメカニズムが備わっているのではないだろうか?
私は、学生たちに精神医学を教える時、必ず瞑想の時間をとっている者がいるかどうかを尋ねるようにしている。実際、これまで私が質問した精神科医や研修医の中で、定期的に瞑想をしている者は誰もいなかった。一度でも瞑想をしたことがあるという者でさえ、一人か二人だけで、多くの人がこのプロセスについて何も知らなかった。───これは、精神的・感情的な問題を癒すことに関心を持ち、内的世界を扱っていると考えられている人々が集まった中でのことである。それでは、瞑想とはいったいどのようなものであろうか?
瞑想には、さまざまな異なる多くのテクニックがあるが、私たちは通常、外界の音や、思いの断片や、幻想や感情に邪魔されない状態に入っていく。この静けさの中で、人は永遠なるものを体験することがある。ババは次のように言っている。映画館のスクリーンの例を考えてみましょう。映画が上映されている時、あなたはスクリーンを見ずに、映画だけを見ています。映画が終わると、スクリーンだけが見えます。それはメッセージのないスクリーンで、声も名前も姿も色も信念もありません。それがブラフマン(神)です。暗い所では、ロープが蛇に見えます。ここでは、スクリーン全体が映像によって見えなくなっていたのです。
それに続く体験には、どのようなものがあるのだろうか?最初、あなたは光の中にいます。───次に、光があなたの中にあります。───そして最終的に、あなたと光はひとつです。とババは言う。彼は次のように教えている、人はまず、神聖なエネルギーの光を、自分の外側にある、自分とは異なったものとして体験するようになるかもしれない。続いて、その光が自分を貫き、自分を満たすのを感じ、それが自分とは別のものでありながら、自分の内から生じているのを体験する。そして、自分を光として体験するあなたと光はひとつです、という究極の状態は、アートマ(真我)すなわち普遍的自己であり、内なる神と融合する、二元性を超えた状態を反映している。
自分が瞑想におけるさまざまな発見の興奮と高揚感を体験し始めて、ババの中に偉大な科学者でもある意識の教師を見るようになると、再び彼に会いたいという強い願いが膨らんでいった。私はババに、特に瞑想のさまざまなステップについて質問をしたいと願い、彼の指示を正確に守って、目の前に開かれようとしている意識の次元へ進んでいこうと思っていた。
また、六か月の間ババの近くを離れていたので、その姿を見て、直接至福を体験したいという思いには、強く心が動かされた。ちょうどその頃、インドラ デーヴィがババを訪れる旅に出ようとしており、私は、他の選択肢も最小限の時間で検討した上で、彼女の一行に加わることを決めた。こうして私は、三度目のインド旅行へと飛び立ったのである。
今度は、私はもう旅に慣れていた。旅は快適で、自分一人になる時間が嬉しく、長時間瞑想を行い、静かに座ってババの体験に浸っていた。長い旅の果てに、私たちはボンベイに着陸した。その景色は見慣れていて、非常に楽しく過ごすことができた。その体験は実に幻想的なものであった。香り、目に映るもの、動き、そうしたものの素晴らしい活動の中に我を忘れてしまい、私はますます自分の見たインドを愛するようになっていた。
その日の夜遅くバンガロールに着いてみると、ババが、夏期の住まいであるブリンダーヴァンに来ていることが分かった。翌朝早く、私は、三十人のアメリカ人たちと何百人ものインド人たちと一緒に通路の横に座って、ババが家から出てくるのを待っていた。
私の隣には、旅の仲間でサンタバーバラ市から来た若い画家がいた。オレンジのローブが見えると、私の鼓動は早くなり、私が待ち望んでいた、いつもの愛と興奮が戻ってきた。ババは至福に満ちていて、天国を思わせる美しい姿を見せながら、空中に浮いているような優雅な動きで、家から続く歩道を進んできた。私は自分の身体全体が脈を打つように振動し始めるのを感じ、心の中にとっても温かい感じが広まるのを体験できたのは、奇跡的なことであった。
私たちはババの進行方向右側に座っていた。私たちのいる三メートルほど手前で、ババは通路の反対側のグループの方を向いて、いつもの穏やかで威厳に満ちた様子で、右手をまわした。ローブの袖をまくりあげていたババの手の中に、突如として、聖なる灰、ヴィブーティが現れた。画家のスティーブは、私に体を近づけて、声を抑えて言った。「もうこれだけで、旅のすべての目的が達せられたよ」しばらくの沈黙ののちに、彼は、囁くような声で続けた。「僕は、長年積み上げてきたカルマが、両肩から取り除かれるのを感じている。僕は解放された!僕は空高く舞い上がっていくよ!」
ババは十五分か二十分位の間、私たちの間を歩き、愛に満ちた笑顔で皆に言葉をかけてから、家に向かって動き始めた。突然、彼は私の方を見て、私のところまで歩いて来た。「弟さんは元気?」と、彼は尋ねた。その瞬間私は、出発直前に、弟のドナルドが、ババが彼(ドナルド)を覚えていると私が思うかどうか尋ねた時のことを、鮮やかに思い出した。私は弟に、「もちろんだよ。ババは一人ひとり全員のことを覚えているよ」と答えた。ババが彼のことを尋ねたことは、ドンへの素晴らしい土産話になる。私のほほ笑みはいっそう大きくなり、私のハートはババの中に吸い込まれていった。「彼はとっても元気です。ババ」と私は答えた。私の声には、顔に感じる大きなほほ笑みが込もっていた。
SAI RAM NEWS No.127 2009年 7・8月号
(Sathya Sai Organization Japan)