第十二章
ゴールド スポット(その五)
このようなことが起きると、私は自分の感情との間に、もっと距離を置くことを自らに誓う。しかしすぐに、再び感情に圧倒されている自分に気づいて、「やれやれまただよ、サム。今度はすぐにそこから出られるといいね」とつぶやくことしかできない。ババはしばしば感覚の罠について語る。そして私は、感覚に対する執着を手放すには、多大な霊的取り組みが必要なことを知っている。
次の朝、ドナルドと私は、午前中にプラシャーンティ ニラヤムを離れる人々がインタビューを受けるために寺院に入っていくのを見たので、寺院の外の陽の当たる所で待っていた。私は、ババがジェリーのために何か素敵なことをしてくれるように祈った。ジェリーは、神の何かを垣間見ることを、非常に深く願っていた。そして私は、信仰が彼の人生にどれほどの平安と意味をもたらすかを知っていた。私たちは、朝の時間の大半を、その場所で待つことに使った。すると突然、インタビューを受けた人々の多くが、顔を輝かせてアシュラムを離れだした。私たちは人々から話を聞き始めた。
ババはいつも通りに美しく、あふれるばかりに与え、愛と守護のエネルギーを全身から発していた。ババは一部の人々のために手を前に伸ばし、物質が掌から落ちる所を見せた。
ジェリーを探していた私たちは、彼がいつになく明るく、寛容な気分でいるのを見つけた。その顔は光り輝いていた。
「このインタビューをどう受け止めるべきかよく分からないが、今はこの旅に来てよかったと思っている」と彼は言った。インタビューのおかげで、すべてが価値ある体験だったと感じられるようになったのだ。ジェリーは、いつもの思考と行動のパターンすら失いかけているように見えた。米国人グループにいた女性が、誰か私の荷物運びを手伝ってくれませんかと尋ねると、ジェリーが進んで助力を申し出た。そして、「僕は決してこんなことはしない。きっと頭が変になってきたにちがいない」と言った。
ババは、ジェリーをインタビュールームの奥の部屋に導き、その部屋で彼と話をした。しかし、ジェリーが望んでいたものは、会話ではなかった。再び彼は、どうか指輪を何とかしてくださいと言って、自分の指輪を外した。するとババは、それは自分の望むところではないと言った。ジェリーはしつこく頼み続けた。とうとうババは、その指輪を手にとり、息を吹きかけてからジェリーに戻した。するとそれは、まったく別の指輪になっていたにもかかわらず、彼の指にピッタリのサイズであった。
当然このことはジェリーに衝撃を与えた。しかし彼はまだ、そうしたことが単なるマジックではないことを、完全に確信するには至らなかった。しかし彼は、自分の感じる大いなる歓びと興奮の感覚をどのように説明することができただろうか?ジェリーがここでの体験をより深く振り返るには、我が家における安心感と慣れ親しんだ環境とが必要だった。
妻と、弟夫婦と、私自身にとっては、暑い日差しの中で待つことが多い旅だった。私たちは、狭い場所に何人もの人と共に寝なければいけない状況、満足できないトイレ設備、だんだん不潔になっていく生活環境等に、苛立ちを募らせていった。グループの中で言い争いが噴出するようになり、感情のコントロールが容赦なく試された。部屋の隅にいた絶えず咳をする若者の熱は下がらず、数分おきにトイレへの往復を繰り返した。弟と私は、地面に掘られた穴を使うことがだんだんおっくうになり、ついには通常の排泄活動全体を我慢しようと試みるまでになった。
「ぜいたくな」西洋式のトイレは別として、女性陣もまた様々な問題に直面していた。彼女たちは、我々と同じような混み合った部屋に詰め込まれて、着替えにすら困難を覚えていた。皆、サリーを着てインド式の服装をしようと試みたが、サリーを体に巻きつけた状態を保つことすら難しかった。彼女たちは、サリーで身を包んだり装いを解いたりして、絶えず心地よさを求める試みに携わっているように見受けられた。
女性の部屋の隣には、ウマーという名の美しいインドの婦人が住んでいた。彼女はデリーの医師の奥さんで、素晴らしく親切で人の役に立つ女性だった。彼女は非常に美しい声を持ち、女性たちは毎晩インド音楽と、彼女の歌うこの上なく優美なバジャンのもてなしを受けた。彼女はまた、ババの素晴らしさを示す様々な話をしてくれたので、ババに対する彼女たちの気持ちは深まっていった。
私は、一般のインドの人々の優しさと親切さに感銘を受けていた。彼らは、アシュラムの中で何かにつけて私たちを助けてくれ、アメリカ式の生活をいろいろ知りたがり、ババに対して謙虚で深い敬意を抱いていた。インドは世界の霊性の祖父的存在であり、至る所に宗教的な趣が満ちていた。
ある晩、弟のドンと私は、アシュラムの敷地内にある小さな病院を訪れた。私は彼に、宿泊施設の建設に携わっていた作業員の一人が最近死亡したことを話した。ドナルドは皮肉を込めて、「その時ババはいったい何をしたのだろう」と言った。
「おそらく死ぬ場所としては、ババのいる所以上に素晴らしい場所はないのだと思うよ」私はその時心に浮かんだ内容を声に出した。「おそらく彼は、あちらの世界でババに会って、自分に見合った報酬を受けたのだと思うよ」弟は肩をすぼめて笑っただけだった。
米国人グループは、ほとんどの時間を共に過ごした。男性は一箇所に滞在し、女性は別な場所に滞在した。灼熱の太陽が私たちの絆を深めた。私たちは一週間近く、不快な気分で、粗末な身なりのままふらふらになって歩いた。
あなたがあの至福を求めていないとか、迷妄に満足していて、夜も眠れない過酷な状況を喜んで耐え忍ぶような心の準備はないなどと言ってはいけません。あなたの本心は、食べて飲んで眠るだけの、このわびしくて退屈な日々の繰り返しを忌み嫌っています。私の言葉を信じなさい。あなたの本心は、自分がなくしてしまったことに気づいている「何か」を求めています。その「何か」は平安、すなわち心の満足に他なりません。あなたの本心は、取るに足りない一時的な事象への束縛からの解放を求めています。すべての人が、心の奥底でそれを切望しているのです。そしてそれは、ただひとつの店でしか入手できません。その店とは、目に見えるすべてのものの基盤である「至高の神殿」への黙想のことです。
ババ
アシュラムでの生活が一週間ほど経った頃、私たちは、「間もなく出発する予定の人々は、ババに会うことが許される」という話を聞いた。もうこれ以上は、あまり長い間の肉体的な不快さに耐え続けることはできないだろうと考えて、私たち八人はインタビューの手配をした。予定された日の夕方、時間になると私たちは小さな部屋に通され、床の上に半円を描いて座った。ババが入ってきて、円を埋め、一人ひとりに声をかけた。前と同じように、ババの前に出ると、私たちは、すべての不愉快なことを忘れてしまった。突然、全員が喜びに満たされた。
すると、ババの様子が変わった。彼はよそよそしくなり、超然として、人間味が感じられなくなった。彼はヴィブーティ(神聖灰)を少し物質化した。長い沈黙の後、再びババは私たち一人ひとりに語り話しかけたが、奇妙なことに、私たちの頭越しに何かを見ているようで、ときどき微笑を浮かべたりした。
彼は誰かに名前を尋ねては、夢を見ているような状態に入り、頭を前後に動かしてうなずきながら、誰か想像上の人物と話をしているかのように、微笑んだり笑ったりした。時おり彼は、手のひらを上に向けてゆっくりと回し、空中に文字を書くように、指を奇妙に動かした。何をしているのか尋ねられた時、ババは、人々の心を読み、帰依者たちと交信をしている、と理解するのが最も近いだろうと答えた。ババはグループのほぼ全員に対してこのようなことをした。ババが誰とも個人的に話をすることはなかったにもかかわらず、私たちはただ、ババのそばにいることを楽しんでいた。
SAI RAM NEWS No.124 2009年 1・2月号
(Sathya Sai Organization Japan)