「そりゃあ、子供のころ親父にはよくぶたれたけど、それは僕が間違った方向にいかないようにしつけるためだったんですよ。そのことと、僕の結婚が破綻したことが、いったいどう関係あるんですか」

 そう言ったのは、腕がいいことで評判の三十八歳になる整形外科医だった。彼は六年間一緒に暮らした妻に出ていかれ、私のところにカウンセリングを受けにきていた。なんとかして妻には戻ってほしいのだが、彼女のほうでは彼がかんしゃく持ちの性格をなおさないかぎり絶対に戻らないと言っているという。彼女は、彼が腹を立てると突然怒りを爆発させることに怯え、しかも情け容赦もなくののしるのにはもう疲れきっていた。彼は自分がかんしゃく持ちで時として口やかましくなることはわかっているが、まさかそのために彼女が出ていくとは思わなかったという。

 私は彼自身のことについて質問しながら面談を進めていった。両親についてたずねると、彼は微笑み、著名な心臓外科医だという父親について誇らしげに語った。彼の話によると、父はすべての患者から聖人のように慕われている素晴らしい人物で、その父がいなかったら自分は医師にはならなかっただろうという。

 私はつぎに、その父との現在の関係はどうかとたずねてみた。彼はちょっと落ちつかなげに笑った。最近、整形外科をやめて自然療法などの分野に進むことを考えていると言ったところ、父は激怒し、それ以来、話をするたびに言い争いになるのだという。自然療法は正統的な西洋医学の世界ではいわゆる主流とはみなされておらず、彼の父はそのようなものの価値をまったく認めていなかった。つい前日にもその話がまたむしかえされ、怒った父は、彼のような人間は一家の一員とは見なさないと宣言したという。それで彼は非常に傷ついた。

 彼が語った父親の姿は、明らかに彼が主張するほど素晴らしい人物のものではなかった。私は彼が父親について話している時に、両手の指を組んだり離したりして非常に落ちつかないことに気がついた。

 父親はいつもそのように独裁的なのかとたずねると、彼は答えた。

 「そんなことはないんですよ。父はよく大声でわめいたり怒鳴ったりしたし、子供のころには叩かれたこともよくあったけど、でもそれはどこの家でもあることでしょう。父が特に独裁的だったとは思いません」

 私はその時、「叩かれた」と言った時の彼の声が微妙に変化したことに気づいた。そこで私は叩かれた時の状況についてさらに詳しくたずねてみた。彼ははじめあいまいに受け答えしていたが、しばらく話しているうちに、子供のころにはなんと週に二、三回はベルトで叩かれていたということがわかったのである。ちょっと口答えしたり、学校で悪い成績を取ったり、なにかすべきことを忘れたりしただけで、父の罰を受けるには十分だった。叩かれる場所は決まっておらず、背中、脚、腕、手、おしりなど、その時によってまちまちだったという。

 私はつぎに、叩かれた時にはどれくらいの傷になったのかと聞いてみた。ケガをするほどひどいことはなかったと彼は答え、父親が叩いたのは息子のためを思ってのことだったのだと主張した。さらに私が、そういう時には父親が恐ろしくなかったかとたずねると、怖かったことは認めたものの、なおも父親は息子を矯正しようとしていたのだと言い張った。だが彼はその時、私と目を合わせなかった。そして私がさらに質問を続けていると言葉につまりはじめ、とうとう目に涙が浮かんだのが見えた。

 私は胃の中に何かが突き上げてくるのを感じた。

 彼の抵抗はそこまでだった。その時、彼はひどい苦しみと闘いながらも、長いあいだ心の奥にひそんでいた〝怒り〟の原因が何だったのかを生まれてはじめて認めたのである。これこそ、腹を立てやすい性格の根源だったのだ。彼は子供の時から、自分でもはっきりと意識することのないまま、父親に対するいきどころのない怒りをずっと抑え込んできた。それはときどき噴火する火山のように、外部からの精神的なプレッシャーが高まると爆発した。そしてその爆発は手近にいる人間ならだれでもかまわず向けられ、たいていの場合は妻がその対象となったのだ。

 ここまでわかれば、もう彼のすべきことはひとつしかない。この事実を正直に認め、心のなかにいまでも住んでいる「傷ついた少年」を癒すことである。

 その晩、私は家に帰ってらからも彼のことが頭から離れなかった。親からいかにひどい扱いを受け、みじめな思いをしながら育ったかということをやっと認めた時の、目に涙をためた彼の顔が何度もまぶたの裏に浮かんだ。

 

毒になる親  Toxic  Parents  (講談社+α文庫)