性とは何なのでしょう。わたしたちをとりまく世界にかたちをあたえ、わたしたちの内面的生活に喜びをあたえてくれるこの力は、何なのでしょうか。高められては芸術や科学となり、落としめられては倒錯となる、この力。感謝と平安をもたらすだけでなく、憎悪と軽蔑、恥や嫌悪感をひきおこすこの力とは何なのでしょう。時には至高の喜びをもたらし、時には、地上の生きものにとって最大の精神的苦痛をもたらすこの力。その正体はいったい、何なのでしょう。何がこの力をひき起こし、何によってこの力は成りたっているのでしょう。

答に近づくためにわたしたちは、他のいろいろな科学の分野における発見について、知る必要があります。それによって、わたしたちの問題にはもっと別の重要な要素があることがわかります。

女性は、ごぞんじのように、男性とはちがっています。性器や、姿かたち、小さい手足、胸と腹、髪の毛の生え方、声の高さ──男の声より、ちょうど一オクターブ高いのです。そればかりでなく、感情生活においてもちがいます。

何がこういうちがいを生みだすのでしょう。

それは、人間の性の無数の細胞の内部構造によるのです。ヒトの細胞のひとつひとつに、性別──男か女かのちがい──があるのです。

性的要素は、ただ性器にだけあるのではなく、人間のからだの無数の細胞のひとつひとつにある重要な性質なのです。

何が、この性差を、たとえば、肝臓の細胞、皮膚細胞、筋肉細胞、また神経細胞などの中につくっているのでしょう。どうやって、わたしたちは、この一個の細胞がオスであるか、メスであるか、知ることができるのでしょうか。

この質問に答えるまえに、細胞のつくりについてもう一度かんがえてみましょう。細胞のあるものは、とても小さくて、肉眼では見えないくらいです。この細胞の一個の長さが、千分の一インチだとか、百万分の一インチだとかいってもその小ささをまざまざと思いうかべることは難しいでしょう。

それでは、別のやり方で、その大きさを想像してみることにしましょうか。カーボンの小さなひとかけらを、白い磁器のお皿の上において、切りきざんで、白の上に黒いものがあるとわかる程度に、微片がやっと目にみえるというところまで、切りきざんでみたとします。この微片でさえ、細胞よりずっと大きいのです。それから、木づちで、この微片をたたきつぶして、その細かい粉が、白い地の上で判別できないようにしてしまったとすれば、わたしたちのからだの細胞とほぼ同じ大きさの炭素ができたことになります。そのひとかけらを、強力な顕微鏡の下におけば、われわれの細胞も、調べたり、研究したりすることができるほどに、大きく見えるのです。

そんなに小さな細胞は、いったい何からできているのでしょうか。薄い皮膜でおおわれた、原形質でできています。この原形質の中に、核があります。わたしたちのからだの細胞のひとつひとつの(赤血球細胞は 例外として)原形質の中心に、こういう核があるのです。この核の中には、とても細い繊維があり、それを科学者は「染色体」と呼んでいます。

ここでちょっと立ちどまって、もう一度考えてみましょう。たとえば、人間の男の性細胞である、精子を例にとってみます。一番小さな塵も、それと比較すれば、山のようなものです。しかし、この目に見えない物質も、のっぺらぼうではないのです。表面のずっと奥に、核があります。この核の中を、染色体がおよいでいて、その染色体が受けついでいる特質は、わたしたちの父、母、おじいさん、おばあさんからさらにさかのぼって何千年、何百万年まえの祖先から、さらに動物的生命の起源にまでさかのぼるものなのです。

このちいさな細胞、小宇宙は、太陽系という大宇宙とおなじく無限にふしぎなものです。その上、このふたつの宇宙は、同じ原理により成り立っているのです。

人間もふくめて、どんな動物も、そのからだの細胞の核の中に、一定数の染色体をもっているのです。その数は、その種により決まっています。そのうえ、同じ種のメスの細胞とくらべて、オスの細胞には完全に発達していない細胞がひとつあることが知られています。肉眼には見えないひとつの細胞の染色体の数をしらべることによって、それがどんな動物あるいは人間のものであるか、またどちらの性のものであるかを識別することができます。

人間の男は、四七本の完成した染色体プラス一個の未発達な染色体(Y染色体といわれる)をもっています。もし、この未発達のY染色体が完全に発達すれば、それはX染色体とよばれ、そのひとのからだ全体を女性の方向へむけてつくっていく力をもっています。

ふたつのX染色体によって、女性の性器は発達します。二番目のX染色体がなければ男性の性器が発達するのです。

女性はそのからだの細胞ひとつひとつの核の中に、四八本の染色体をもっていることがわかっていますが、数えきれない何億もの細胞のなかで、ひとつだけ例外があり、それは成熟した卵細胞です。成熟していく可能性のある何千何百という卵細胞が、ふたつの卵巣にはいっています。

少女が思春期をすぎると、ふつうには、二八日ごとに、ふたつの卵巣のうちのひとつから一個の卵細胞が(ある月には右の卵巣、次の月は左の卵巣というように)出てくるのですが、それはまったく同じ二つの細胞に分裂し、そうしてできた新しい細胞は染色体を二四本しかもっていません。この過程を排卵といいます。この成熟した卵の片方は死んでいきますが、もうひとつは、二四本の染色体をもって、卵巣の表面をつきぬけて、輸卵管を通り、子宮へと旅をするのです。もし、二日たっても、男性細胞である精子がやってこなければ、卵細胞は、死にます。

睾丸のなかの男性細胞(精子)も、成熟しはじめるとき──つまり思春期に達すると、二つの部分に分かれます。しかし、この精子細胞は、発達した染色体を奇数の四七本しかもっていないので、同数に分かれるわけにはいかず、二四本のグループと、二三本のグループとに分かれます。しかし、成熟した女性の卵細胞がたった一個、四週間中二日間だけ生きているのに対して、成熟した精子細胞は、たえまなく、途方もなくたくさん、生産されるのです。

どうして、自然は、性細胞のしくみを、わざわざ染色体を分割するというようなめんどうなものにつくったのでしょうか。その理由はかんたんです。もし、精子と卵子の染色体の数が半分に減らなければ、胚細胞、つまり子どものからだの細胞の染色体の数は、結合の結果、両親の染色体の数が合計され、九十五本になり、これでは、人間の構造にはそぐわないものになってしまいます。

性交のときには、約二〇億の精子がペニスから出て、膣に入り、もしそれが卵子が生きている二日間にあたっていれば、通り道が粘液の分泌でスムースになっていれば、これらの精子の多くは、子宮にある卵子に向かって旅をしていくのです。

すぐに精子たちの競争がはじまります。精子は七分間に一インチ(二・五センチ)の速さですすみます。最初に、卵子にとどいた精子は、その卵子と結合し、ただちに皮膜をつくって他の精子がやってきて侵入するのをふせぎます。この競争に参加している精子の半分が二四本の完全な染色体をもっており、もう半分が二三本の染色体をもっているので、両者のチャンスは平等です。もし、二四本の染色体をもつ卵子が、やはり二四本の染色体をもった精子と結合すれば、女性の胎子胚が形成されます。女性細胞の染色体の数は四八本だからです。しかし、もし、二四本染色体をもった卵子が、二三本染色体をもった精子と結合すれば、その結果できる性細胞は、四七本しか完全な染色体をもっていないことになり、その結果、男性の胎子胚が形成されることになります。(二つの精子が同時に卵子に到達した場合には、双生児が生まれる。)

両親から出たふたつの性細胞が発達して、その子どものからだの細胞となるのです。ということは、わたしたちのからだ全体が、はじめはたったふたつの小さな、目に見えない性細胞から発達し、それが膨大な回数の分裂をくり返した結果つくり出されたものであるということなのです。というわけで、わたしたちのからだの細胞は、YとかXの染色体のあるなしで、男か女かのちがいはあるものの、じつはどれも性細胞であるのです。

この性別を決定することのできる、目に見えないX染色体には、どんな驚くべき力があるのでしょう?女性のもつ美しさ、理想的なからだのかたち、優雅さ、魅力、やさしさなどは、そのひとのもつX染色体により決まるのです。この染色体の力はどこにあるというのでしょう?

それは、女性ホルモンの生産に、影響力をもっているからです。

そこで、もう一つ別の生物学の分野に、足をふみいれなければなりません。それは「ホルモン」です。この科学が進歩すればするほど──そして今日それは、急速に進歩しつつあるのですが──、ますます、多様で、驚くべき側面があきらかにされてきました。この分野の科学者の発見についての情報は、性のメカニズムや、感覚、本能などと同時に、わたしたちの本質を解明するために、欠くことのできないものです。

よく知られている事実から、話をはじめましょう。わたしたちのからだの、ある分泌腺は、透明な液体を分泌しますが。それは、一般の分泌腺のように、たとえば、胆のうのような大きな空洞内に分泌するのではなく、直接、血管内に分泌するのです。こういう導管のない分泌腺のことを、内分泌腺といいます。この分泌腺から出る液体をホルモン(語源は、ギリシャ語・ホルマン、刺激するの意)といいます。

 

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