南太平洋の原住民たちは何時間も赤ん坊の肌を手でこすってあやす。たいていの母親は赤ん坊を裸の背中におんぶして働き、赤ん坊は緊張がなく、幸福でいる。なにが幸福にさせるのか?もしかしたら、おんぶの肌のふれ合いと、その電気的平衡が緊張をゆるめるのではないか?母親なら誰でも知っていることだが、泣きさけぶ赤ん坊は母の胸にだかれたら、乳を飲まされなくても泣きやむ。

 メラネシアの女は子どものからだを何時間もなでさすり、かわいくてたまらないというふうに息を吹きかけるが、これは子どもの生来の能力をいかにしてそこなわずに守るべきか、最善の方法を直観的に知っているのではなかろうか。

 

彼らの愛のいとなみもまた教えられるところが多い。彼らは普通多くて五日に一回以上は性交しない。他の夜は一緒にだきあってねて、それもひとつの芸術的なものだ。性器どうしは触れあわさない。

性的結合のための準備は少なくとも半時間かける。彼らは愛撫し、だきあい、キスし、噛みあい、二人が帯電するまでつづける。しかし絶対に男は女のクリトリスにさわらない (成熟した女はクリトリスの興奮は完全に卒業しているはずだ。それは子どもの特性なのだから。思春期をすぎればこういった興奮は正常ならばヴァギナに集中されているものだ)。性交が始まると彼らは結合したまま、少なくとも半時間、ときにはもっと長時間にわたって、動かさずに、横たわっていてからでないと、いかなる動きも始めない。クライマックスのあとでも、彼らは長時間にわたって結合したまま横たわっている。これの意味は、彼らは性交がうまくいき、たくみに二人のからだに起こされた電流が平衡状態に達したことの恵みを楽しんでいるのだ。

 

もう一つこれらの島民から学ぶことは性交中の二人の位置である。第一のルールはからだの完全なリラックスと、圧力や緊張からの解放だ。このため男が女の上に乗ることはない。そうすることは女を閉じこめ、運動能力をうばうことになる。長い性行為においてこれは耐えがたくなり、もし男が自分を少しもちあげて軽くしようとすれば、彼の筋肉は完全にゆるむことができず、彼の電流のある部分は腕や足に流れ、彼の性器に集中できないだろう。

 

 

われわれのからだのなかの緊張がなくなって、絶対的リラックスの状態に達すると、われわれはからだがなくなったかのように感じる。

 

 

愛のヨガ6ヶ条

 

一   準備

なでたりキスをしたりという愛のたわむれの時間が性行為以前にあるべきだ。この前奏曲の間、全身的な肌の触れ合いをじゃまするものがあってはいけない。そして男はやさしくなでて女の感覚をヴァギナに集中させるようにし (クリトリスは絶対に避け)、ヴァギナを完全にしめらせておく。ヴァギナがぬれていなければならないわけは、ペニスが入るのを楽にするだけではなく、水は電気の良導体であるからだ。かわいたヴァギナでは、二人の生体電気の異なった電位が均等にならず、不感症の主な原因となる。

 

性交への前奏曲それ自体がもう一つの前奏曲を必要とする。互いに親切にやさしくしあう一日だ。

 

二   体位

前戯のあとで、二人は次の体位をとるべきだ。

 

男は、女の左に横たわり、彼女の方を向いて彼の左足を彼女の両足の間に入れ、二人の性器がぴったり触れ合うようにする。

 

男も女もこのようにして、あらゆる筋肉をゆるめて横たわることができ、しかも好きなように完全な自由をもって努力なしに動きまわることができる。接触がそのようにぴったりといっているので、性交のすんだあとでもこの位置のまま、性器をはなさずに眠ることができる。

 

この位置ではペニスが勃起しているかどうかは問題ではない。大切なことは、それの先がヴァギナの入口で小陰唇の粘膜に接触していることである。

半時間後、二人の放電の交流が確立した時に、たいていペニスは勃起しヴァギナに入ることができる。

 

三   継続時間

男が射精をがまんすることをおぼえるまで、以上のべた位置がふつう少なくとも半時間、ヴァギナの外でとられなければならない (準備時間は、もし二人がそれ以前に興奮しているならば、短縮してもよい)。完全な性交、すなわちペニスの先がヴァギナの奥深く入り、子宮の入口にさわる、完全なまじわりはこうでなくてはならないが、こんどはこれにうつる (「すなわちスイッチを入れて言うに言われぬ恍惚の電流をながすことだ」 N・J・ハービー)。射精なしのこの性交はふつう半時間つづくが、この時間はのばすほどよく、一時間にもできるし、「カレッツァ」の場合は二時間から三時間にもすることができる、もし二人が動かないままでいれば。

 

これらの練習で大きな助けになることは、ヴァギナの中で動かずにいることだ。性行為中の摩擦は電気を生じる。もしも、この不動の性交の練習中に、勃起がなくなるようなことがあったとしたら、それは彼の性器に流れるべき生体電気が中断されたり、そらされたりした結果だ。

 

たとえ男が半時間の性交以前にオーガズムになったとしても、ひき出してはならない。

 

この規則ひとつに従うだけでもカップルはたいへんリラックスできるので、あまりにも短い性行為にしばしば伴う緊張と不満がほとんど消えてなくなり、嫌悪を満足にかえることさえある。

 

四   集中

すべてのはじめから、性行為のあらゆる段階において、すなわち前戯とヴァギナ外の接触と、奥深い性交は、あらゆるこまかい点にいたるまで完全な集中をもっておこなわれるべきだ。なにごとも二人がしていることから注意をそらせてはならない。彼らは自分自身を訓練して自分たちの性器の感覚と、また相手から受ける「電気の流れ」を完全に自覚しなくてはならない。もし集中力がこのように行使されれば、感覚の認識は、至上のよろこびをあたえるまでに発達するだろう。

 もしも、それと反対に、二人が注意を性行為から、ラジオの音や、子どもや、電話のベルによってそらされたり、また、二人がしゃべったり、ふらふらとよそのことを考えたりするだけでも、彼らの「放電」は脳細胞に向かい、この仮定のたとえを続けるなら、性器への「流れ」が中断される。そのような場合、オーガズムは弱く不満足なものとなる。

 

五   くつろぎ

からだのあらゆる筋肉、あらゆる細胞にいたるまでが完全にくつろいでいなくてはならない。どんな種類の緊張も放電をさえぎることになる。細胞がくつろいでいるほど、「流れ」るべき「放電」が容易に、じゃまされずに、性器にとどく。

 

しかし、身体的くつろぎだけでなく、精神的感情的くつろぎもまた重要である。たとえば性行為について罪悪感、恋のパートナーに対する怒り、気がかりな心配事などは、必要な完全なくつろぎのじゃまをする。くつろぎは性行為にとってだけでなく、個人の健康と幸福にとっても、これほど重要なものはない。

 

六   回数

原則として、うまくいった性行為、すなわち完全な性交が半時間つづいた場合は、五日に一度以上くりかえすことはできないし、してはならない。

 

うまくいった性行為を短時間にくりかえしてはならない理由は、からだの「バッテリー」は短時間に充電できないからだ。健康な性行為は二人を完全にくつろがせるので、ふつう彼らはくりかえしをのぞまないほどだ。

 

あまりにもしばしば性交すると睾丸の細胞がホルモンよりは精子の生産にもっと集中しなくてはならなくなる。ホルモンのない生物体は元気もエネルギーもない。ついにはそれは消耗と欲求の不満になり、性行為がいやになり、欲望をおこさせた相手に対するうらみもそこにふくまれるようになる。これが多くの情熱的な恋愛のおわりの典型的なばあいだ。

 

愛のヨガ(野草社)