「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。傷つける者に善を為せ」(マタイ、五章四十四節)〔前文のみ、日本聖書協会、一九五五年改訳版より〕
たとえそうしたくても、どのように「敵を愛す」のでしょう?次の仮想の対話は、どのようにそのシフトが起こり得るかを示しています。
⚪️友人の夫は、怒りに任せて友人を殴りました。私は憤慨して反応し、彼に罰が当たってほしいと思いました。あの男がしたことにはぞっとします。明らかに私の心は閉じています。どのようにすれば開くのですか?
◯その男性は今ここにはいませんが、貴女の非難と懲戒的な思考はここにあります。ですから、まずその思考への執着を解くことに焦点を当ててください。
⚪️どうにもなりません。彼は永久追放に値します。彼は危険です。私には、彼は危険ではないと思っている振りをすることも、違うように感じていると装うこともできません。
○それでは、貴女の執着を解き始めることができるかどうか見てみましょう。その男性についての貴女の経験はご自分の反映だと、何とか想定してみてください。これは最初はあり得ないことのように聞こえるかもしれませんが、調べてみましょう。貴女をぞっとさせるのは、正確にその男性の何ですか?
⚪️彼が残虐に妻を攻撃したという事実です。彼は冷酷で、怒りに燃えていて、手が付けられません。
○それでは、貴女にも時々怒りに燃える側面があるかどうかを見てください。
⚪️はい、もちろん、私は時々怒ります。だれでもそうです。
○何に怒るのですか?
⚪️一つには、この男のように残酷で感受性の鈍い人々にです。そのような人に対しては自分が無力に感じます。
○怒ると何をするのですか?
⚪️何もしません。彼らのようになりたくありません。
○怒りのエネルギーはどうするのですか?
⚪️怒りを感じることは間違っていると自分に言い聞かせ、怒りがないかのように行動します。しばらくすれば、なくなります。
○それでは、貴女はご自分の怒りを間違っていると判断し、きつく蓋をしているのですね。
⚪️そうです。
○貴女はご自分の怒りを拒絶し、怒りが手に負えなくならないように、もみ消しています。
⚪️それが怖いのです。
○手に負えなくなるかもしれないことが怖いのですか?
⚪️そうはなりません。私は気を付けています。
○それが鏡です。貴女は、奥さんを殴る人に対して心を閉ざしたその同じ姿勢で、ご自分に対しても心を閉ざしています。
⚪️私がそんなことを?
○はい。貴女は彼の怒りをぞっとすると判断して、そのために彼を拒絶しています。ご自分の怒りについても同じことをして、間違っていると拒絶しています。ご自分の怒りの感情を嫌悪として扱い、「永久に追放」したいと思っていますね。
⚪️でも、怒りは間違っています。
○怒りの表現は破壊的で愛情がないかもしれませんが、自分の感情に対して心を閉ざすこともまた愛情がありません。それは無情か残酷とさえ言えるかもしれません。貴女がご自分にしている暴力に心を閉ざしているのなら、ご自分の想念が創り出した世の中に見る暴力の知覚に対しても、心を閉ざしてしまうでしょう。
⚪️そのように考えたことはありませんでしたが、おっしゃっていることはわかります。でも、自分の怒りを表に出したくないのです。
○貴女は怒りを表に出す必要はありません。私もそれを促しているわけではありません。ただ、ご自分の怒りに対して心を閉ざさないことを学ぶようにと申し上げているだけです。その男性に映し出されて見えるご自分の側面に対して、貴女が心を開くことができれば、もう怒りのことで彼を非難できないことがわかるでしょう。これは、貴女が彼の行動を容赦したり、認めたりすることを意味するのではなく、たとえだれかを攻撃しようとする彼を止めようとしている間でさえも、貴女の慈悲と理解の心はあるがままの彼に対して開いているであろうことを意味します。
Purifying the Heart
心を浄化する方法
(サティヤ・サイ出版協会)