美人薄命 -2ページ目

美人薄命

美って一瞬だよね。だから美人である時も一瞬。
一瞬の命が美であるから薄命なわけ。
個人的な見解。

本屋を守れ 読書とは国力 (PHP新書)/PHP研究所
¥990
Amazon.co.jp


藤原正彦の本を久しぶりに読んでみた。

「読書は国力」とまことに正論を述べておられる。

今、巷のコロナ騒動はマスコミ盲信によるバカ国家日本の

国語力をモロに証明する騒ぎとなっている。

国語力はあらゆる思考の原点でもあり、その国語力を通じ、

数学、音楽、詩、散文、哲学、その他あらゆる思考の礎でもある。

ある不快な事象があり、それを言葉に表現できないとしたら、

悶々と身体に残り、その事実を言葉に発することができない苛立ち

不甲斐なさ、気持ち悪さに身体の方が参ってくるのだと想像できる。

その逆も然りで快適な気分を、澄み渡る青空とか、凛とした空気とか

表現できないとしたら、凄く偏った人間になってしまう。

音楽のエモーショナルな感情も、断定的ではないにしろ、具体的な言葉を

音符に載せている、と僕は思う。

本により、その言葉から頭の中で描かれる景色、心情、想いが自分の追体験となり

高揚を受けることはよくある。

そして、その本による追体験による経験が、より一層その人の人間力を増していくこととなる。

人間力がある人で語彙数が少ない人はいない。

人間力基盤の読書をたまたま子供の頃に楽しいと感じた自分だから、

本への散財は全然惜しくない。

また、不思議に語彙力の欠ける人間との会話は時間の無駄である気がしてしまう。

要は話しそのものが面白くない。

更にバカまっしぐらの日本政府は小学生からの英語教育時間を増やすとか。

これだけAIが発達し、日常会話などリアルタイムで翻訳することのできる時代に

くだらないアングロサクソン人が使う英語など使えるか!

俺は日本人で日本で死ぬと決めれば話せなくても何も困らない。

英語で話しかけてくる、くだらない外人に目をしっかり覗き込み「Speak Japanese!」

日本に来たなら、日本語で喋ろ。

俺がお前の国に行ったなら、お前の国言葉で喋る、当たり前。

それをおもてなし?

滝川クリステルの名言もオリンピック中止で死語になってしまったな。


とアングロサクソンミッションで世界大恐慌になっている現状に文句を言ってしまった。

タイトルと程遠い着地点であるが、本屋を守ることは日本語、日本人の精神を守ることである。





マイケル・ジャクソンの思想/
¥1,760
Amazon.co.jp


安冨歩氏の著書。

マイケル・ジャクソンが偉大な思想家、哲学者であった非凡な事実を

これまた研究者、哲学者である安冨氏が解いた名著。

哲学とは
 
人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。
 
また、経験からつくりあげた人生観。

とネット検索ではあった。

僕の解釈では、普通にある出来事の普通の様子を普通に感じるのではなく、

その普通の中にある光景に、論理的解釈を加えることができる分析に長けた

人の思考を哲学と呼ぶような気がする。

要は当たり前の事象に意味づけを与えることのできる学問。

それが哲学であると今僕は考えている。


安冨氏は2度、講演で本物に触れる機会があった。

これもれいわ新撰組の山本太郎氏のおがげである。

安冨氏の参議院出馬会見 をYouTubeで見ていると

「この人おかま?」と最初に思っていたが、

記者会見での鋭利な回答に一気にファンになった。

明らかに聡明な人だからだ。


本来なら要点を簡潔明瞭に伝えるのが書籍レビューであるのだが、

要点を簡潔明瞭にまとめる力は僕にはない。

また、この哲学書の言葉が僕には響き、他者には響かないといった感性の違いもある。

よって、僕がアンダーラインを引いたとこを抜粋してみる。

最初に読んで「これだ!」と感じたものである。


人間は自分自身の地平を、自分自身の感覚に従って

生きるときはじめて、平安を得ることができる。
 


人が貪欲さに溺れるのは、自分の心が、自分の創造性と愛情との源泉から、  
    
つまり自分自身の魂から、切り離されているからである。  

 
ギリシャ哲学者エピクロスは死は恐るるにたらない、と考えていた。
 
 「死はもろもろの悪いもののうちで最も恐ろしいものとされているが、

 じつはわれわれにとって 何ものでもないのである

  なぜかといえば、われわれが存するかぎり、死は現に存せず、  

  死が現に存するときには、もはやわれわれは存しないからである。」  


この3つのセンテンスに出会えただけで元は取れたと思っている。


幼少の時に死に対して底知れぬ恐怖を感じたことがある。

自分が存在しなくなる死に。

最近、ふと老化が進み若く再生できない自分に、

老化という現象が特に理解され、

このまま進行してみすぼらしい姿になり命乞いするよりも

パソコンのフリーズからの脱却であるリセット、再起動が必要であることから

「死」もリセットだなと感じ悟った。

再起動が輪廻転生という訳ではないが、死んで無になることも人間には必要と思えた。

シンギュラリティが間近に迫り、等比級数的に進化していくこの地球人。

脳だけが延命措置され身体はアンドロイド化して半永久的に生きられる。

果たしてその世界が幸せであるのか疑問に思う。

やはり人生のリセットは「死」という誰にでも訪れる必要様式であるではと

なんとなく感じるこの頃である。






Daria Zaritskaya






前回と同様であるが、映画を編集してダリアのビデオに組み込んだ映像がある。

なかなか秀作の出来であるし、何よりこの曲がいい。

何回か繰り返すうちに、脳内モルヒネが分泌してクセになる。

この曲をアップルMusicに入れてもらいたいものである。


P.S

なんのことはない、YouTube Premiumに変更したら、

普通に音楽として再生される。

有料になると世界が変わるか、体験してみたい。










 
 
Daria Zaritskaya




エログ復活ということで綺麗なお姉さんシリーズ。

世界に目を向けないといけないのだが、

多分、世界一綺麗で歌が上手い女性であると断言できる。

ウクライナのヤンキーであるか?


やたらスタイルがいいが、どこか下品。

そんな見た目はヤンキーだが、

妖しい美しさは半端ない。


まぁ、勝手なこっちの思い込みだが。

このビデオは5年くらい前であるから、

どこかあどけなさと品がある。


この娘はやたら綺麗であるのだが、

その美しさを過剰に演出するわけでもなく

変顔は変顔で堂々と歌い登場し、その美貌を飾るとこが無いとこに、

彼女の魅力を感じずにはいられない。

より美しく見せる演出が無い。

逆にそこに真の美が存在する。

不変の「美」がたたずむ。

そんな彼女だと、これも勝手に思い込んでいる。

ちょっとやそっとじゃ凌駕できない美しさ。









奈月セナ




岐阜県出身、23歳。

しばらくエログから遠ざかっていた。

若い姉ちゃんが嫌いになったわけではないのだが

興味のバロメーターが確実に低くなってきていることは否定できない。

これが老いによる趣向の変化かと自己分析するが

やはり年齢による風化は耐えられない。

そんな中、久しぶりにグラビア雑誌を買ってみた。

そこの巻頭グラビアを飾る彼女にある種の衝動を感じた。

少し眺めていると、「こりゃ、久しぶりのグラドルだな」と感嘆した。

まぁ、どう見ても可愛く美しい。

そんでバディもエロい。


顔はいいがバディはエロくない、またはその逆の

バディはいいが、顔がイケていない。

といった神は二物を与えずといった現実があった。


その矛盾を見事に打ち砕いているのが彼女である。

昔の写真も見てみたが、今が旬。

いい女が放つ圧倒的なオーラを身につけている。

僕のように老化を感じる殿方は彼女の水着を見て

青春時代の熱いトキメキを思い出そう!(笑)






 
エキサイティングマックス!スペシャル Vol.141 [雑誌]/楽楽出版
¥価格不明
Amazon.co.jp


KIMIKA





カラオケバトル の録画をしていたが、ずっと見ていなかった。

音声をステレオに繋ぎ準備万端で録画を観る。

いやー、この娘の歌声は涙を誘う。


カラオケバトルの猛者は恐ろしく高得点であるので

歌はめちゃくちゃうまいのだが、

歌詞の意味をわかって発声しているのか疑問を感じるシンガーもいた。

歌詞の意味を噛み締めながら歌う唄と、

音符をなぞる音声では明らかに届くものが違う。

そんな風に感じていた。


聴衆はこの人の歌が凄いと思うのに、

カラオケマシーンの点数では劣るというようなことがよくあった。

その聴衆に響く歌声とカラオケマシーンの採点の溝を埋めようと

AIの要素が加味され、100点が簡単には取れないヴァージョンになったと

堀優衣ちゃんが正月のイベントで語っていた。

その新しいカラオケ採点で2位になったのが彼女。


わけわからないけど心の感動に届くものは音楽でもなくてもある。

人間の心が感じる、感性に届く芸術というものか。

アップルミュージックでも彼女の最新のもあるのでチェック。

でも、このカバーのような曲が一番いいと感じるのは僕だけか?





 

ワウリンカ

メドベージェフ

 



錦織の出場しないテニスなんて

「クリープを入れないコーヒーなんて」に近い。

このCMコピーが思い出されるのは50以上の方々であろう。

それだけテレビCMの洗脳力は高い。


ということで本題。

いよいよ4回戦も終わり、本当の戦いが始まる。

ワウリンカを応援していたので、勝って良かった。

さすがにこの世界ランク10位以内の選手の集中力は

それ以下の選手と違って半端なく凄い。

メンタルが強いとも言えるか。

ワウリンカは電光石火の片手バックハンドストレートダウンザラインも切れ

メドベージェフのバイオハザードディフェンスからの粘りのあるストローク。

共に死力を尽くして戦っていた。

勝負の行方は第5セットの第1ゲーム。

鬼の集中力と粘りを発揮したワウリンカがブレークし、

そのまま押し出した。

ワウリンカのサーブをする時、必ずやる2回転ラケット反転も相変わらずであるし、

背伸びしてから打ち込む弾丸サーブも健在であった。

ワウリンカを応援するのは錦織が足踏み状態をしている中、

メドベージェフは錦織も制覇していない

ATP1000のプチグランドスラムを制しているとこにある。

「おいおい、錦織の先に行くなよ!」と呟いてしまう。

錦織も30とベテランの領域に入り、若手も著しく成長してきている。

常に試合数と勝利をポイント換算するテニスは、

如実にランキング通りの強さが発揮される。

ジョコビッチも相変わらず鬼の強いテニスをしている。

ティームにも勝たせたくないので、

ワウリンカ頑張れ!

熟練の技と集中力を発揮せよ!


と解説ではなく希望を書いてしまった。

鬼の集中力ができないキリオスも面白い。

本気集中でサーブしていたら間違いなく世界最強のテニスプレヤーだ。






逢妻ヒカリ
 




正月にNHK4Kを見ていたら彼女の存在に触れた。

ここまできたか?バーチャル3D映像!ってな感じか。

コンセプトはSONYの犬型ロボット「aibo」の延長線上にある気がする。

aiboは物理空間でペットとし存在し、彼女は3Dプロジェクターの若妻として存在する。

Lineの返信から自宅電化製品のオン・オフ、そして普通のリアリティ会話と、

本格的なAIの予兆も感じられる。

一生独身の殿方には当たるヒット作になるかもしれない。

更に未来に至っては、バーチャルな女性型ロボットとして

漫画「コブラ」のレディのように動き回るかもしれない。

その際、顔は購入する人のタイプで造形されるのがいい。


需要があれば商品になる。

生物学的には子孫を残せない者たちの悲しい生き方に見えるかもしれないが

どうせ、子孫を残そうが残すまいが死ぬ運命。

なら、楽しんだ方がいい。


この「逢妻ヒカリ」のキーワードを忘れ

鬼のように検索したが見当たらず、

諦めていた矢先、何気に録画ハードディスクに保存されていた。

「そうだ、あのバーチャル花嫁何だっけ?」と忘れる前に記しておく。









アキラ先輩
 






最近、ユーチューブをよく聞いたり見たりしている。

テレビのチャンネルは有限であるが、ユーチューブのチャンネルは正に無限にある。

AIクッキー戦略のお陰か、自分に興味あるCMだったり情報が不思議に飛び込んでくる。

そこで何気に聞いていると、為になったりする素人ユーチューバーに会う。

ここで紹介するアキラ先輩も何気に知り合ったチャンネルだが、

結構、栄光あり堕落ありと珍しい人生を歩んでいるので

その軌跡にはある意味参考になったり感心したりする場面が多々ある。

ということで勉強になる。

僕は仕事中に何気に聞けるという不思議な環境なので

結構、いろんなチャンネルを楽しんでいるが、

真面目に聞こうとすると、聞けなかったりする。

要は自分の時間をその視聴に取るにはかったるかったりするから。


テレビの広告がユーチューブにシフトしていき、

いずれテレビそのものが存在意義を失う時期にも来ている。

若ければユーチューバーを目指していたかもしれないが

さすがに高齢になり、その情熱も無くなって来ている。

ただ、10分くらいにまとめて話すことは自分の頭にも整理できていい

という情報もあって思案はしている。

面白く伝えるのも技術だからね。


そんなことで自分に興味あるチャンネルを探そう。

地上波はバカになり洗脳され、時間つぶしにはなるが

向上はほぼないから。






井筒香奈江



井筒香奈江



井筒香奈江「美人薄命」


彼女のライブを聴いてきた、横浜で。


調べたら前回のライブから2年経っていた。


仕事の都合とかで合わなかったこともある。



すぐに感じたのは「盲目の音楽」というキーワードである。


それは、奏でる者も聴く者も視覚情報を遮断し聴覚情報だけで


感じる音楽ということである。


普通、コンサートは光情報による視覚効果とそれに付随するアーチストのパフォーマンス。


そしてその流れに乗る音楽が一体となりオーディエンス、アーチストをトリップさせる。


その普通のライブと対極にあるのが彼女のライブであるように感じた。


もちろん、アーチストの演奏風景は見える。


視覚情報を遮断した分、聴覚情報は過敏になる。


ピアノが静かに消えていく感じまで聴きこむ。


そんなライブであった。


スピーカーの配置のせいか、スタジオ録音的なバランスで聴こえた。



必要な音だけが必要な音数だけ奏でられる。


そんなライブである。



Laidbackの音楽は高級である。


その高級さを堪能できるかな?






Direct Cutting at King Sekiguchidai Studio [Ana.../JellyfishLB
¥6,380
Amazon.co.jp