- 本屋を守れ 読書とは国力 (PHP新書)/PHP研究所
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藤原正彦の本を久しぶりに読んでみた。
「読書は国力」とまことに正論を述べておられる。
今、巷のコロナ騒動はマスコミ盲信によるバカ国家日本の
国語力をモロに証明する騒ぎとなっている。
国語力はあらゆる思考の原点でもあり、その国語力を通じ、
数学、音楽、詩、散文、哲学、その他あらゆる思考の礎でもある。
ある不快な事象があり、それを言葉に表現できないとしたら、
悶々と身体に残り、その事実を言葉に発することができない苛立ち
不甲斐なさ、気持ち悪さに身体の方が参ってくるのだと想像できる。
その逆も然りで快適な気分を、澄み渡る青空とか、凛とした空気とか
表現できないとしたら、凄く偏った人間になってしまう。
音楽のエモーショナルな感情も、断定的ではないにしろ、具体的な言葉を
音符に載せている、と僕は思う。
本により、その言葉から頭の中で描かれる景色、心情、想いが自分の追体験となり
高揚を受けることはよくある。
そして、その本による追体験による経験が、より一層その人の人間力を増していくこととなる。
人間力がある人で語彙数が少ない人はいない。
人間力基盤の読書をたまたま子供の頃に楽しいと感じた自分だから、
本への散財は全然惜しくない。
また、不思議に語彙力の欠ける人間との会話は時間の無駄である気がしてしまう。
要は話しそのものが面白くない。
更にバカまっしぐらの日本政府は小学生からの英語教育時間を増やすとか。
これだけAIが発達し、日常会話などリアルタイムで翻訳することのできる時代に
くだらないアングロサクソン人が使う英語など使えるか!
俺は日本人で日本で死ぬと決めれば話せなくても何も困らない。
英語で話しかけてくる、くだらない外人に目をしっかり覗き込み「Speak Japanese!」
日本に来たなら、日本語で喋ろ。
俺がお前の国に行ったなら、お前の国言葉で喋る、当たり前。
それをおもてなし?
滝川クリステルの名言もオリンピック中止で死語になってしまったな。
とアングロサクソンミッションで世界大恐慌になっている現状に文句を言ってしまった。
タイトルと程遠い着地点であるが、本屋を守ることは日本語、日本人の精神を守ることである。














