先日子どもの村の教育シンポジウムに参加してきました。
そのレポートその②
テストから作品づくりへ
このシンポジウムで
携帯のメモアプリにメモをした言葉は3つ。
ひとつは前回シェアしました、
「競争原理に頼らない教育」
そしてふたつめは
「テストから作品づくりへ」
みっつめは
「上手に迷惑をかける自立」
です。
今日はふたつめに少し触れていこうと思います。
最近思うことは、
子どもの頃どこまでも恥ずかしい表現や
自分の中から溢れ出てくるポエティックな表出に没頭できる環境があることが
どれほどに大切かということを思うことがありました。
あまりにも小さい頃から
まともな人間像のようなものを強要される
そんな環境が今も社会にあるとしたら
それは少し息苦しいかもしれません。
それは人間が人間について
ちょっとした勘違いの先入観を
生まれた時からの環境で持ち
それを大切に持ち続けているだけだとしたら
それは捨てればいい。
あまりにも無限の可能性を
私たちはこれまで
封印という言葉がぴったりなほど
押さえ込んできました。
そして何やら人間という底力のような
本来持つ無限のソースのような
それは生命力を見て見ぬ振りをして
それでも一生懸命生きてきたのかと思います。
多分おそらく
これからの時間の流れは
もっと体も緩めて
楽に生きることができる
過去の価値観や
先祖の意思や
そういったものに縛られることなく
自分自身のソースのような
生命力というものは
何者にも侵されることなく
ただ自分の中にあるものだからです。
どれだけのエネルギーが
右を向いたもしても
自分が左だと思ったら
左しか向けないそんな舵を
自分で切っていく
そんな自分のエネルギーと繋がりがより一層と強く太く力を持ち自分の未来を開いていく
つまりは素直な気持ちに勝てるものはなく
好きに勝てるものはなく
嘘もつけず
どれがいいとか悪いとか
そういったレベルの話ではなくなり
ただ自分がそう思うという
ただそれだけの話の世界への突入は
これまでどれだけのマイナーな人が望んできた
時代の転換でしょうか
それが普通になっていくこれからは
なんせ自由なので
すでに世界は収集がつかないほど膨れ上がっているのかもしれませんが
大切なことは
全てを収集しようとすることではなく
自分の素直な気持ちにのみ
従い進んでいくことが
自分に対しての正義になる
正義とか悪とか
言葉はあまり好きではないけど
まだ今の時代はある言葉だし
いつかはなくなるのだろうけど
その言葉を使う共通認識のようなものがあるので
人に伝える言葉として使ってみました。
正義ってなんでしょうね?
話を1番初めに戻すと
「テストから作品づくりへ」
評価でも他者からのコメントでもなく
子どもの柔軟な時代は
作りたいことをつくればいい
少し雑な言い方になってしまいましたが
そこには何が生まれるんだろう
そのワクワクするきもちを大切にする
それだけに向かって表現する
この世界にある全てを使って
かき集めて
これだと思うものをつくる
それに没頭する時間を守るために
教育という機関は存在していてほしいと思うし
人間が自分を表現して新しい次へ進む力添えになるような場所として機能すること。
そこにはドリームキラーなる人は何人たりとも入れては行けないし
そんなゲームのような世界はゲームだけの世界だとしっかりと伝えられる人もいるといい
自分を表現して
人に嫌われるかもしれないなんて
そんな浅はかな理由で
自分自身がこの世界に生まれてきた
美しい存在意義を
曇らせてはダメです
ここまでわたしが言えるようになった
平成という時の流れに
わたしは感謝したいと思います
自分へのメッセージのような文章になってしまいました。
必要な方へ届きますように。
愛を込めて
友里恵
