こんにちは🎵
占い屋🔮リーリエ リリー✨
百合音です🎵

 

阿仁王様 「やや?! 『何も考えないことが、制限された自己を無制限にする』とな?!」

吽仁王様 「吽(うん)!」

 

という会話が聴こえてきそうな午後です。

 

最近、新たにブロ友さんが増えまして、そのブロ友さんが「OSHO」を尊敬する人にあげておられたので、このカードを紹介する気になりました。

 

私のコレクションカードの中のワンデッキです。

 

このカードは、112枚

「一読すると『禅問答』に見えるけど、あんがいそうでもないなぁ~」

というような言葉が書かれています。

 

個人的には、あん~まり「刺さる」言葉はないんだけどまぁ、お好きな方は、お好きかも? と、思えるカードです。

 

で、このカードには、OSHOの著書から抜粋された解説文はありますが、丸パクリするのも何なので、私がコレで瞑想した内容を解説文を下敷きに書いておきます。

 

「何も考えずにここに「在る」。 「身体」という細胞で構成された物質をまず意識から外す。 

すると、身体のことを考えず、より繊細な物質である「脳」や「心臓(呼吸や心拍)」を感じる。 

その奥には物質といえるかどうかもわからないものの、確かに「在る」とだれもが識っている(しっている)「こころ」が映し出される。 

もし、その状態で、脳が繰り出す「心の在り様」を言葉で捉えず、考えず、ただ在ることができたら、どこまでも広く深く、意識は覚醒する。 

思考に乗っ取られない「意識」は、ともすると脳や身体が記憶できないものである。 

それを捉えたいと追いかけると、たちまち「こころ」は「脳」に支配される。 

「脳」は「身体」以上に「これこそ自分なのだ」と主張する。 

 

だが瞑想とは、沈黙。

 

要は何も考えず、ただそこに「在る」ことだ。開放的で、受容的で、そこに起きた事象をすべてを受け容れるのみ。 

それは言語化などは、到底できない玄妙な表現の世界。 記憶にすら焼き付かないsomething great。

 

ただ、瞑想から覚めた時、かすかに残る「感覚」の中に、いまの身体や脳、こころにとって、もっとも必要不可欠な「something」が確実に芽生えている」

 

え~っと。 瞑想に興味がある方の参考になればなぁ~って思って書いたけど、こんなん、読む人いるのかな?

 

私は「身体から分離」して「脳(生体に必要な自律神経系だけ動いている状態で意識がある)」の状態になることができます。

多くの方にとって分かりやすい表現と言えば、それは「覚醒前のレム睡眠時間」に似ています。 つまり「起きているんだけれど、夢を見ている」状態になるわけですね。 そのとき「脳」に「できるだけ記憶に残して」と指令して、後は浮かぶがままを放置していると、割と瞑想状態に近い感覚になります。 だから、睡眠時間前に「寝てもいいや」という状態で瞑想をするんです。どうしても「コレは必要だ!!」と、強く回想したい場合は、意志の力で「起きてメモ書きする」という行動をとります。 

瞑想をされる方は、そんなことしないと思うんですけど、私はまぁ、我流&体験を分析して、既存の「謎」を解きたいと研究するタイプだし、誰からも教えてもらってないから、楽しんで独自でやってます。 我流だからこそ、瞑想で得られた「感覚」を分析したり、文章化することで、少しでも「あ、こんな感じなんだなぁ~」なんて思っていただければ~、くらいな感覚。

まぁ、それより「深いところにある」とか「そんなもんじゃない!」というご意見もありましょうが、そのご意見に関しましては、甘んじてお受けしたいと思っております。忌憚なきご意見をお寄せください。 ちなみに、あくまで我流の瞑想で、個人にこんな感じの印象があって、コンセントレーション保ってますよ~って感じで、ゆる~く受け止めて下さいね。

 

注意基本的には、ちゃんとした「禅」や「瞑想」のお作法や、確立された流儀や方法論、宗派の指導を受けられることを推奨します注意

 

ということで

今日はこの辺で

Have a nice day💛