私がDとの付き合いをはじめてから,偶然にも親友の’な~ちゃん’と運命共同体となった。
彼女はちょうど私のようにモラな人と付き合っていたからだ。
私がDとつきあう前から,な~ちゃんはいつもモラ彼のことで悩んでいたので、
よく話を聞いていたが、正直あまり理解できなかった。
『なんでつきあってるのかな?』くらいにしか思ってなかったと思う。
しかし,このDとつきあうようになって,モラが始まると,
なえちゃんの経験のない人にはわかってもらえないつらさが手に取るようにわかり,それはびっくりするものだった。
そして,それだけではない。人生の中でこんなにあらゆることを考えたことはない。
自分に他人に真剣に向き合い悩み抜き,まるで精神が病んだ哲学者では?!と思うほど,「悟った」と思う。
実際は悟ったなんておこがましいのだが、
特に彼と別れてからの7ヶ月は,ほんとうに考え抜いた。
心理学の本,記事も読みあさり,あらゆる意見を聞き「人」というものの学習をしたのだと思う。
それから,人の本質がかなり見えるようになった。
表面的なもので覆い隠されている内面を,きっちり見透かせるようになった。
もう占い師にでもなろうかしらという勢いである。
それは私自体が自分のよいことも,悪いこともひっくるめ
自分を完全に認めるようになったことから始まったような気がする。
そして,他人に対して同じ気持ちになったこと。
また,対人恐怖症の時期を超え,
人を見分けて関わる人を選別したいという強力なアンテナからだと思う。
人に対して私の態度が変わったと思うことは,
人をよく見てから付き合い,嫌なことには「いや」と言えるようになったことである。
前のように寛容に何でもかんでも,どんなに失礼でも許すという自分はなくなった。
これは,ただ単に今精神的に余裕がないからかな?とも言えるのだが,(笑)
いやいや,本当に人との間にうまく境界線が引けるようになったのだと思う。
こんなに物事がよく見えるようになったのは,
ある意味よかったのかとおもわされるくらい,強制的に『修行』させられた気分である。
ああ本当に苦行だったわ。
そして私にとってこのブログというのが大きい存在である。
たった5月から始めたブログ。まだ3ヶ月しかたっていないのだが,
私の過去を清算するためにきっちりと見つめ直し,
その時の実際の状況(モラの行動)と自分の細かな心情を改めて思い出し,
私はおかしくはない,悪くないと再認識する場となったのだ。
たまにもらえるコメントも本当に心にぐっとくる。自分で気づいて語るのとは違う。
私のことをブログを読み理解してもらってから,アドバイスや意見をもらえるのとでは,重みが違う。
ほんとうに心に響く。
コメントうれしいです。ありがとう。
ただ,最近まで,まだ対人恐怖症的な面があって,麻痺していたと思うのは、
ここ数ヶ月人とつながりを持ちたくなかったことだ。
だから,メールとかのやり取りも,SNSも本当に面倒に感じた。
Dとの3週間前の最後のやり取りから,
一度は海の底に落ちたものの,ようやく海面へ上がった気分である。
最近,友人にオープンになり,私を見せて嫌われるのを恐れる自分がいない。
他人に必要以上にあわせる自分もいない。
だから相手へはっきりとした態度ができる。
強がっているわけでもなく,弱みを見せてもいいと思える。
その上でつきあってくれる友人には,感謝ができる。
40歳にしてようやく自己確立したような気がするのだ。
遅いわ~
でもまだこれからだって思えるようになりました。
Dには決して感謝はしたくないが,
このDとの経験が何の意味のないものであったら,つらすぎるだけだった。
しかし,この体験が自分に与えた気づきは大きなものだったと言えるのです。
彼女はちょうど私のようにモラな人と付き合っていたからだ。
私がDとつきあう前から,な~ちゃんはいつもモラ彼のことで悩んでいたので、
よく話を聞いていたが、正直あまり理解できなかった。
『なんでつきあってるのかな?』くらいにしか思ってなかったと思う。
しかし,このDとつきあうようになって,モラが始まると,
なえちゃんの経験のない人にはわかってもらえないつらさが手に取るようにわかり,それはびっくりするものだった。
そして,それだけではない。人生の中でこんなにあらゆることを考えたことはない。
自分に他人に真剣に向き合い悩み抜き,まるで精神が病んだ哲学者では?!と思うほど,「悟った」と思う。
実際は悟ったなんておこがましいのだが、
特に彼と別れてからの7ヶ月は,ほんとうに考え抜いた。
心理学の本,記事も読みあさり,あらゆる意見を聞き「人」というものの学習をしたのだと思う。
それから,人の本質がかなり見えるようになった。
表面的なもので覆い隠されている内面を,きっちり見透かせるようになった。
もう占い師にでもなろうかしらという勢いである。
それは私自体が自分のよいことも,悪いこともひっくるめ
自分を完全に認めるようになったことから始まったような気がする。
そして,他人に対して同じ気持ちになったこと。
また,対人恐怖症の時期を超え,
人を見分けて関わる人を選別したいという強力なアンテナからだと思う。
人に対して私の態度が変わったと思うことは,
人をよく見てから付き合い,嫌なことには「いや」と言えるようになったことである。
前のように寛容に何でもかんでも,どんなに失礼でも許すという自分はなくなった。
これは,ただ単に今精神的に余裕がないからかな?とも言えるのだが,(笑)
いやいや,本当に人との間にうまく境界線が引けるようになったのだと思う。
こんなに物事がよく見えるようになったのは,
ある意味よかったのかとおもわされるくらい,強制的に『修行』させられた気分である。
ああ本当に苦行だったわ。
そして私にとってこのブログというのが大きい存在である。
たった5月から始めたブログ。まだ3ヶ月しかたっていないのだが,
私の過去を清算するためにきっちりと見つめ直し,
その時の実際の状況(モラの行動)と自分の細かな心情を改めて思い出し,
私はおかしくはない,悪くないと再認識する場となったのだ。
たまにもらえるコメントも本当に心にぐっとくる。自分で気づいて語るのとは違う。
私のことをブログを読み理解してもらってから,アドバイスや意見をもらえるのとでは,重みが違う。
ほんとうに心に響く。
コメントうれしいです。ありがとう。
ただ,最近まで,まだ対人恐怖症的な面があって,麻痺していたと思うのは、
ここ数ヶ月人とつながりを持ちたくなかったことだ。
だから,メールとかのやり取りも,SNSも本当に面倒に感じた。
Dとの3週間前の最後のやり取りから,
一度は海の底に落ちたものの,ようやく海面へ上がった気分である。
最近,友人にオープンになり,私を見せて嫌われるのを恐れる自分がいない。
他人に必要以上にあわせる自分もいない。
だから相手へはっきりとした態度ができる。
強がっているわけでもなく,弱みを見せてもいいと思える。
その上でつきあってくれる友人には,感謝ができる。
40歳にしてようやく自己確立したような気がするのだ。
遅いわ~
でもまだこれからだって思えるようになりました。
Dには決して感謝はしたくないが,
このDとの経験が何の意味のないものであったら,つらすぎるだけだった。
しかし,この体験が自分に与えた気づきは大きなものだったと言えるのです。