あけましておめでとうございます。
珍しく2日連続で更新です。
2017年はもう少し更新頻度をあげられるかな…(まぁ、無理だろうな…と思うブラックな自分が優勢です)。
今日、特にアップするつもりはなかったんですが、ちょっとだけ思うところがあり…。
大晦日のテレビ、個人的には観るものないなぁ…と思っており、甥っ子がいればバラエティー、父がいればクイズ、弟がいればスポーツバラエティーや格闘技、なんとなく気が向いたら紅白…と、落ち着かないわが家のチャンネルでした。なので、どれも中途半端にしか見ておりません。
そんな自分でしたが、紅白を観ているときに、ハッとする歌詞があり、調べてみました。
SEKAI NO OWARIのHey Ho。
「誰かからのScream Of Silence
この嵐の中、船を出す勇気なんて僕にあるのかい
例えば君がテレビから流れてくる悲しいニュースを見ても心が動かなくてもそれは普通なことなんだと思う
誰かを助けることは義務じゃないと僕は思うんだ
笑顔を見れる権利なんだ 自分のためなんだ」
「誰かのために何かをする」って、義務じゃない…。自分のためなんだってこと、自分はよくそう思っています。人が何かをしようと思うとき、本当にいいことができるのってやらされてするのではなく、自分からやりたいと思ってするからこそなんだと。
この曲の中で出てきた「誰かを助ける」もそうですが、受験勉強も、スポーツの練習も、仕事も…、やることで楽しい、うれしい、幸せを感じられるからこそするんだという気持ちになれないといけないと思う自分。本当に人のための行動ができる人、成長する人、本当にいい仕事をする人は、自分自身が楽しくて、うれしくて、喜びたくて…義務でなく権利として…しているんだと思います。
なんだか、そんな自分の気持ちがこの曲の歌詞に近い…というか、ピタリはまっているなあと思って、胸に残りました。
そして、もう1曲。The Yellow MonkeyのJAM…こちらは、今歌詞を調べようとしてネットで見ていたら、朝日新聞の広告に歌詞が掲載され話題になっていたようでした。
「外国で飛行機が落ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう 」
これって、自分もニュースを見ていて、「そういうことなの?」と違和感を感じていたことでした。日本人の犠牲者がいると悲しくて、日本人の犠牲者がいなければ安心…失われた命の数は変わらないのに。
この違和感、自分の中では、日本で、日本語で放送しているニュースなので、日本人の犠牲者がいなければ、肉親を亡くした方がいる可能性が限りなく0に近いといえるからよかった…ということか、と自分の中で納得しようとしてきました。
でも、このわだかまりを歌詞にして歌っている方がいた(それも、もう、10年ほども前に)というのは、うれしいような…でも、この違和感は簡単に納得すべきことじゃなかったな、と少し自分の中で反省でした。
おかしなことはおかしい…という気持ちはきちんと持ち続けるべきだなって思い出させてくださいました。
これまで、聴いたことのなかったこの2曲…2016年の最後に出会い、聴くことができて、よかったな…と思いました。