おはようございます。


ひいらぎです。


少し過激なタイトルになりましたが、お許しください。


タイトルの元ネタは、今流行のダニンククルーガー効果の論文に記載されているグラフからパクりました。


ダニンククルーガー効果とはなんぞや?と、思った方にむけて説明しますと。


1999年に、ダニンク博士とクルーガー博士が共同で学生を被験者にして実験した結果を論文にまとめたものでして。


端的にいいますと、バカは自分が見えていないから、自分のことを能力がある人間だと勘違いしている。という趣旨が1番はじめにきます。


全部説明しますと長くなりますので、そこだけにポイントを置きますね。


こういった考え方は昔からありまして、有名な言葉はソクラテスが


私は自分が何も知らないことを知っている。


と 言ったとされています。


あぁ、私も自分は実は有能ではないか?と、勘違いしたこともあったよな?と、反省しました。


私はバカにされるのが、かなり平気なタイプの人間です。


以前にも記述させていただきましたが、私は生粋の大阪府民として生まれましたので、人に笑われると


よっしゃ。つかみはオッケーや。


 となる習性を持っています。


歳をとってから自分は賢くないんだ。と、確証した事の原因のひとつに、知能検査を受けたことがあります。


問題になったのが、空間認識力のポイントが低かったことです。


高ポイントをとった項目との差が大きかった為に障がいの認定を受けたということになります。


これのどこが問題かといいますと、ズバリ


数学の力が足りない


と、いうことになります。


数学か。なーんだ、生活には関係ないじゃん?ってなりそうですが、これって大ありなんです。


数学の力が弱いとスポーツも弱くなります。意外かと思われそうですが、動いている物をとらえたり、自分の体の位置を計算したりする能力が必要となります。


え?賢い人ってスポーツが苦手で本ばかり読んでいるんじゃないの?


と、思った人は先入観があります。


本当に頭の良い人はスポーツも器用にこなします。


そして、数学の力が弱いと論理思考に欠けてしまいがちです。


賢いと、会話をしながら、Aの可能性、Bの可能性、Cの可能性。って感じにいくつかの選択肢を準備できます。


賢い人が他人の話をきちんと最後まできくのは、相手の為だけではなく自分の選択肢の分析にも時間を使っているからだと私は想像しています。


だから賢い人は会話にうまく沈黙や間を取り入れているんだと思います。


もっと賢くなりますと、脳の処理能力が高いために、素早く計算して即答できるのだと思います。


これが、いわゆる論破ですね。笑


私にはそんな器用な芸当が出来ませんので、よく言葉のアヤというやつに振り回されています。


ふわっとした、何も考えていない、ちょっとしたノリで。


と、発言されてしまいますと、脳がショートしたりします。


フィードバックが遅いので、今、 あなたはこう発言した!論理性に欠けている!


などと言葉を返すことが出来ない時がよくあります。


なまじ記憶力がいいので、3日前と言うことが違うじゃん?と、ほとんど言いがかりのようなことをやらかしてしまう時もあります。


一般的に人間の脳が忘れるような仕組みになっていると認識出来ていない時ですね。


若い頃は色んなことを深掘りしてしまう自分の思考回路が嫌になり、いっそのこと、ご飯の話題しかしないスズメになれたら楽だろうな。と、考えたこともありました。


そこで思いついたのが、自分より優れた人をお友達にしよう。と、いうことです。


この思考回路も、ちょっとアホです。笑


現在、私には友達が少ししかいないわけですが、皆さん凄いです。


専門家などは普通に大学院を卒業しているわけで、仕事で論文なんかを書いているわけです。


賢い人がお友達だと、足るを知るという思考回路の人が多いので、物欲が少ない人とかかわれるのです。


工芸品としての装飾品を理解していても、別に欲しいとは思わない。と、いった感じです。


自分の軸を持っている人が多いので、嫉妬したりゴシップ的な話題はないです。


音楽と美術は意外にも密接な関係にありますので、知識がある人はよく理解しています。


たとえば、楽曲はとある詩や絵から着想がわいた。などです。


少し、記事の趣旨からズレますと、両方持っている人は強いです。


まず、枯渇しません。


で。賢い人に話を戻しますと


賢い人はバカにされても怒りません。


何故ならば、ソクラテスがいうように、自分が知らないことを知っているからだと思います。


そして、穏やかな心を持っているので、知らないことをふられると


それ、知らないから調べてくるね。


と、自分に知識が増えることに感謝すると思うのです。


私は学歴重視主義ではありませんが、知識と教養をある程度保つためには適度な学歴も必要かな?と、思っています。


学歴の高い人の行動の傾向として、学業から離れても学習している場合が多いのですよ。


大学を卒業したから、勉強やーめた。


でも構わないのですが、せっかく身についた学習する習慣まで手放してしまったらもったいなくないですか?


学生の時は全部学習する必要があったから、勉強が苦痛だったのではないでしょうか?


頭の良い 友達とかかわることの最大の利点は


自分はバカなんだ。


と、気づけられることです。