CEDECの3日目に行われた講演,「怪盗ロワイヤルができるまで,できた後」は,今の日本を代表する(と言って問題ないだろう)ソーシャルゲーム「怪盗ロワイヤル」の生みの親である大塚剛司氏(ディー?エヌ?エー)による講演ということもあって,会議室前には開場前から長蛇の列,開場後は立ち見が出るほどで,一種異様な熱気に包まれていた。ここではその講演を簡単に紹介したい。 チーム解散から始まる物語 大塚氏が怪盗ロワイヤルの制作に着手したのは2009年の6月頃。8月上旬に本格的に動き始め,社内でのテストが始まった。9月25日にテストリリースがなされ,10月7日には正式リリースとなった。そこから快進撃が始まり,10月?11月は負荷対策で「会社から帰れない」修羅場を経験,12月1日にはmixi版をリリースし,合わせてテレビCMの放映が始まった。またサーバー関係が安定したということもあり,ゲーム内イベントが本格的に始動。 2010年4月にはチーム戦を導入,5月には「戦国ロワイヤル」をリリースするとともに,3G携帯以外でのサービスも視野にいれて動き出し,10月には,Yahoo!モバゲー版怪盗ロワイヤルのサービスが開始予定となっている。 なお大塚氏自身は2010年4月の段階で怪盗ロワイヤルから離れており,今ではプラットフォーム事業に参画しているとのことだ。 トントン拍子にことが進んでいるわけだが,怪盗ロワイヤル開発のそもそものきっかけは,ドラゴンクエスト10 RMT,あまりポジティブな状況で生まれたわけではない。2008年4月から2009年9月頃,モバゲーの収益はほぼフラットな状態にあり,今後会社をどう成長させるのかが悩みのタネとなっていた時期にあった。というわけで,そのころの世界的な動きや業界動向を分析し,ソーシャルゲームに社のリソースを寄せて勝負に出るという決断がなされたのだ。 この時点で,大塚氏は,ソーシャルメディアの仕事はしていなかったという。だが,ちょうど大塚氏が関わっていたプロジェクトが開始3か月付近で停滞してしまっており,社がソーシャルゲームへの全面的な舵取りを決定したため,大塚氏のチームは解散。やむなく氏は「エンジニアとして,とにかく作ってみよう」というところから怪盗ロワイヤルに手をつけることになったそうだ。 とにかく作ってみる さて,「とにかく作ってみることにした」といっても,ドラクエ10 RMT,なんと大塚氏は,小学生の頃にファミコンを触ってからこのかた,ゲームに触れていなかったそうだ
関連トピック記事: