前回,映画「ゴッドファーザー」のシネマゲームを,最初にリリースしたのはElectronic Artsではなく,U.S. Goldであるというをお届けした。 今回は,そんなU.S. Gold版「The Godfather」が完成に至るまでの道のりを紹介していく予定だったのだが,急きょ変更して,日本人にとってなじみの薄いゲームパブリッシャ,U.S. Goldそのものの歴史に触れてみたいと思う。 1980年代後半から1990年代前半にかけて,海外産アーケードゲームの移植モノに親しんできた人なら,U.S. Goldのことを懐かしく思い出すのではないだろうか。 とくに筆者のように,少年時代をCommodorer(コモドーラー)として過ごした者にとっては,人間形成における大部分をU.S. Goldが占めているといっても……いやさすがにそれは言い過ぎか。 そんなU.S,アグ ブーツ. Goldが設立されたのは,1984年のこと。 当初は,イギリスのバーミンガムで,ジェフ,アグ?ブラウン氏が1983年に興したゲームデベロッパCentreGoldと,ゲーム以外のPCソフト開発を担うCentreSoftの,パブリッシングを担当する会社という位置づけだった。 当時,イギリスを中心にヨーロッパ市場で成長しつつあったATARIや,Commodore 64に加え,ZX SpectrumやAmstrad CPCなどにゲームソフトを供給すべく,アーケードゲームを移植したり,Epyx Computerと組んでサッカーゲームやオリンピック系ゲームを発売したりして,その業績を大きく伸ばすことに成功する。 とくに好成績を収めたのは,1985年にCommodore 64で発売されたサッカーゲーム,「World Cup Carnival」である。これがヨーロッパ圏で爆発的なヒットを記録したことで,設立後間もないU.S. Goldは莫大な利益を獲得。 さらに,その前年に「Pole Position」のライセンスをナムコから取得して移植した流れから,「ローリングサンダー」「ゼビウス」「メトロクロス」といったアーケードゲームも,前述の各機種向けに移植していく。 同時に,ブラウン氏が個人的にLucasFilmとの付き合いを持っていたことから,「インディ?ジョーンズ 魔宮の伝説」や「スター?ウォーズ」「モンキーアイランド」など,LucasArtsの作品を移植。 セガとも,「ザクソン」「アウトラン」「クラックダウン」「エイリアンストーム」「ムーンウォーカー」「スーパーモナコGP」「ボナンザブラザース」「シャドウダンサー」「ESWAT」などの移植ライセンス契約を結んでいった
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