明日は明くる日ではなく明るい日としよう | 界面干渉と境界条件
歳をとっていない自分でも



わかることなのに



歳が上と言うだけで



何故耳を傾けないのか



他人のいうことは相手がいくつであれ



他人のいうことであって



歳も糞も関係ない



本質はそんなところじゃない



生意気だというのは簡単だ



あれこれ理由をつけて説き伏せるのも簡単だ



ただ人生経験の差を見せつけるのはそこじゃないんじゃないかなぁ



と思う






軽い言葉使いをするなら



相手にその程度としか



受け取られないということ



その言葉自体の重さ



それを自己表現に含めることができる



それが教養ってことの一つではないのかなぁ



とか考えた



若者の言葉を使うのは悪いとは思わないけど



言葉は使われてきた分だけ



重さを持っているのだ、と



そう思う



日本語の豊かな表現力を使えない



のではなく



使うに値しないのかもしれない