観世音菩薩の生前の伝記があったって知っていました!?
フランス語教室で知り合った方に本をお借りしたのですが、
意外にもかなりおもしろかった(引き込まれたという意味)です。
紀元前250年頃のことで、観音様となる方は、興林国の第3王女、妙善姫として誕生しました。当時は各国が戦ばかりで、道徳が腐敗した時代だったので、このように皆の中心にいる王家の姫が仏門に入り、厳しい修行によって悟りを開いて自分が菩薩になるというお手本が必要だったわけです。
ブッダなどによる経典や修行の方法などは当時もたくさんありましたが、 妙善姫、妙善大師はこう言っています。
「修道するには、外形にとらわれることなく、要は(特に)誠心を持つことです。真心を持って法に帰依すれば、経典を唱え、経文を諳んじなくても必ず佛、菩薩に感応します。」素晴らしいことです。また、瞑想の修行での修養段階の詳細な説明などもあり、自分の中で神に繋がる方法を書いています。
私は、キリスト、ブッタ他数々の宗教の神達はその共通の次元においてお互いにコンタクトできるものと信じています。それぞれ人類の目的の為に違った角度から物事を言っているのだと思います。その中の観音菩薩になる妙善姫が、まずは真心を持てば、神と繋がることができると言っているわけです。このことは本当に素晴らしい発見です。
私は神道の清浄なる雰囲気、八百万の神という理念が本当に大好きです。もちろんキリストも大好きです。生前は本当に素晴らしい人間であり、わざと悪いやつらを攻撃し、磔となり、血を流し、地球全体に愛の波動を伝えました。
ここで疑問が湧いてきます。仏教は大日如来など様々な仏の存在を認め崇めながらも、自分が瞑想をし、神と繋がり、自分を高めていきます。イエスも修行では瞑想をしていました。神道には瞑想はあるのでしょうか。全てに神が宿るということで、きっと自分も神であるという考えがある、またはあったのではないか思います。日本の他の宗教にも、人間は神の子、分霊(わけみたま)であるということを言っている団体がありますし、瞑想し、またはしなくとも気持ちを鎮めてこの宇宙の中心の神を意識してみるとき、例えば白い帯のようなもので繋がっていることを感じれば、人間はその分霊(ぶんれい)された存在であると思えてきます。私はそう信じています。
そして、一番の疑問はこの今いる次元の世界です。妙善大師は、この世は日常生活の全ての物事が修行となり、輪廻の地獄から抜け出すために瞑想などの修行をすると言っており、この世は良くない不幸なものと捉えております。私には、ここは精神、魂をトレーニングするジムのような世界なのか、それとも天界は更に厳しいところで、この世は天界で得た成果を試す場なのか、という疑問があるわけです。ある意味そうであり、またそうでないとも言えるのかもしれません。
天界では重さなどはなく、意識すれば瞬時に事が起こるような世界だと思われ、意識、魂の力、レベルのみが通じる世界です。そしてこの世は重さもあり、物事の成就にはかなりのタイムラグがあります。このように考えれば、得意な分野のことでさえも、この世では本当にジムなどで負荷を加えてトレーニングしているとも思え、きっとこの世はトレーニングジムなのだと思うわけです。
自分の外に神を見出し、そのカリスマを崇め奉り、その一方で自己を見つめ、自分の中の精神を立て直し、発展させ、また神と繋がり、少しでも神に近づいていく、ということが、少なくとも今のこの世の理想なのだと思います。
ですから、神社やパワースポットなどで清められ、またお力を頂いたり、また様々な素晴らしい才能の方々に影響され、更に自分を高めていくということなのでしょうね。結局は月並みな答えです・・・
だから、イエスの生まれ変わりを期待するとか(もう生まれ変わることはないし、次は弥勒です。)カリスマを待望し崇めるということではなく、少なくともこの一番きつい時代は、自分の精神を高めていくという姿勢が大事なんだと思います。早く弥勒の時代になってほしいと思ってしまう自分がいるので、そういう考えも良く判ります。きついですよね・・・
ということで、自分の中でとりあえずなんとなく完結してしまいました(^_^;)
ではー。
