昨日Q大病院の「母の会」に出席してきました
今入院している子供達の付き添いをしているお母さん方に
我々が経験者として元気づけてあげてほしい・・・という趣旨でした
最初はそういう趣旨だったはずが・・・違った事になってしまいました(笑)
一時退院で帰られてる方は1人も来ておらず
我々と先生・保育士 後は「がんの子供を守る会」の方や
我々の先輩である方たちがみえられて・・・
元気づけるところか 我々が色々と勉強させられる事になりました
それはそれでとても有意義な時間を過ごせたと思って 出席して良かったな・・・と思います
ここでは医療関係者に今までの不満等 「本音トークで話会う」 も一つのテーマでした
「これからの現場で参考にするのでどんな事でも話して下さい」と先生
私は小児科事態にはこれと言った不満はなかったので
小児科の前にいた脳外科の話をして来ました
脳外科にいた時の私は 主治医・病院に対して不信感ばかりだったので
小児科に転科してからの先生・看護士さん達の対応の早さ丁寧さには何の不満もありませんでした
我々の先輩方
41年前に子供さんを白血病でなくされた方のお話を聞いていると
たまらないものがありました
その頃には まだ「小児慢性疾患」がなかった頃で
入院費はすべて自費だったそうです
2週間事に入院費の請求がきて
お給料は全て病院にとられたものでした・・・とお話されていました
大分から治療にこられた方は 牛や土地・家を売って来ました・・・
という方もいられたそうです
そして入院費が払えなくなると治療を受けたくても受ける事ができず・・・
そんな時代から考えると 私達はとても恵まれた環境で治療を受ける事が出来たんだ
ありがたいことだと つくづく感謝です
そんな時代を経て「がんの子供を守る会」が発足されたのが40年前
今年で発足40周年になるそうです
大変な時代を経てこられた方々が自分達の経験をふまえ病気の子供達に安心して治療をうけられるように
そういった病気の子供を持つ親にお金の心配をせずに治療を受けさせられるように・・・と
病気が完治された方 子供さんを亡くされた方
色んな方達の努力の上に今の「小児慢性疾患」の制度が出来上がったんです
当事この「守る会」が発足した事を 病院の先生に報告に行かれた時には
信じられない言葉が先生から返ってきたそうです
「守る会 そんなの傷の舐めあいになるんじゃないの・・・」と
そういう趣旨で立ち上げた訳ではないのに
この頃は患者の家族同士が話し会うと言う事を病院の先生は大変嫌がられたそうです
今では信じられないことですが
治療の仕方も蒼が退院してから今年で3年になりますが
このたった3年でかなり違ってきているのにビックリするほどです
今は治療を受けている子供達に対し 少しでも痛みをなくした治療
例えば 今はいちいち針を刺すことなくルートをとらなくてもできるようになったとか・・・
髄液検査のかなりの痛みを伴う検査を今は眠らせて行うようになったとか・・・
へぇ~とビックリです
ほんと医学は日々進歩しています
変わってないのは 付き添いをしている母たちの様子だそうです(笑)
我々の先輩方が私達の話を聞いて
「お母さん方の様子は 私達の時と変わってないなと思いました」と話されていました
今までは皆に助けられてここまで来る事ができました
これからは 今まで受けてきた恩を少しでも返せる事ができるといいね・・・
と皆も思うことは一緒です
私達に出来る事を
先人が頑張って立ち上げてきたことをあたり前と思わず感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います
今回 この母の会に向けて
まりなちゃんが仲間に呼びかけ冊子を作る事になり昨日配られました
まりなちゃん お疲れさまでした
子供が病気を発症し入院・退院までの日々を書き綴りました
私も書かせていただき 思わず1人だけかなり長い文章になってしまいました(恥)
書いている時に 入院中書いていた日記を読み返しながら書いていたのですが
今読み返すと辛いけど懐かしい日々
入院時の蒼の写真を見ると くっきりした顔のラインに髪もまつげもまゆげもなく
ガリガリにやせ細った身体に笑顔はなく いつも眉間にシワを寄せていた蒼
あの頃は先生から
「お母さん 髪がなくてもまつげやまゆげがなくても可愛い子は可愛いですよ」
と言ってもらい
「そうだよね・・・」と思ってました
でも 今見ると正直やっぱ怖いですけど・・・やっぱり可愛いです(笑)
それもこれも全て蒼の頑張ってきた証しなんだよね・・・と思うと
この日記と写真は私の大事な宝物の一つです
痛みの伴わない治療が出来てきている今
副作用のない抗がん剤ができてくれればな・・・とつくづく思います