☆12歳になりました☆ | 帆蒼風日記 

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つくづく元気な家族だ・・・

9月25日は我が家の長男・一帆の12歳の誕生日ですクラッカー


 一帆 お誕生日おめでとうケーキ


早いもんでもう~12歳です

12年前の今頃は・・・


もともとの予定日は15日でした

でも予定日過ぎても 全然出てくる予兆なし

私は毎日 階段の登り下りをしてました(笑)

23日に破水をし すぐに病院へ

旦那の誕生日ということもあり 何とかその日に生まれてこい!

と旦那希望するも その日は陣痛が全然つかず無理(笑)


24日にまる1日かけて 陣痛促進剤をうつもやっぱり陣痛こない

そんなにお腹の居心地がよかったのか(笑)

24日の深夜23時 ようやく陣痛がつき始めた!

その夜は痛くて痛くて一睡もできず ずっと外を眺めてましたガーン


そして25日 陣痛微弱の為 お産までに中々いたらず

陣痛はあるんだけど 大きな波がなかなかついてくれず

(それでも めっちゃ痛いんですよ)


このままでは 私の体力も持たないって事で

3時頃に促進剤をうって さらに大きな陣痛をつけることに・・・


薬を入れ始めて その後 

いきなり モニターに異常ビックリマーク


慌てて吸引され

真っ白な身体の赤ちゃんが生まれる

もちろん産声なし・・・ 胎児仮死から新生児仮死の状態で生まれてきました

破水を先にしてしまったのに 陣痛がつかず

その濁った羊水を飲んでしまったのが原因だそうです


テキパキと処置がなされ 

保育器に入れられて 救急車に旦那も一緒に乗り込み

こども病院へ


都市高速に乗り 走る救急車病院

一緒に乗っていた 主治医の先生は

普段はヨレヨレの白衣に 寝癖頭でぬぼ~っとした先生

が・・・救急車の中で怒鳴る 怒鳴る

「早く もっとスピード出さんか・・・」状態だったそうだ


こども病院に着くと スタッフがすでに待機してくれていて

すぐにNICUに運ばれ 更に処置


「この夜が峠なので覚悟して下さい」た旦那言われる


でも 一帆無事に生還!!


先生曰く

「最初の処置が迅速かつ的確だったのが良かった・・・」

「ちょっとでも 処置が遅れてたらダメだったでしょう」と言われました


実は 後からわかった話

私の主治医 実はとんでもなく優秀な先生だったそうです

しかも こども病院で一帆を受け取ってくれた先生とは

師弟関係とか・・・

しっかりと連携ができていたので 一帆の命は助かりました


仮死状態だった為 脳に酸素がまわってなかった時間が吸数分あり

その後遺症がどのような形で 出てくるのかが心配されてました


4歳になるまで こども病院の外来に通い

4歳の時に「もう~大丈夫!」と太鼓判をもらい

今に至ります


生まれてこの方 病気らしい病気もしたことなく

今では健康体そのもの(笑)


三人の中では長男ってこともあり

一番厳しく接してるけど 実は一番甘くなってしまうのも一帆だと思います

当の本人はそうは思ってないようだけど(笑)


来年はいよいよ中学生

この先 色んなことが待ち受けていると思うけど

心の強い男になってほしい!


それは 一帆の名前の由来でもあるから


「帆・帆船のラテーンセイルのように 色んな風を受け

 筋の通らぬ風にも立ち向かっていけますように・・・」



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旦那は元々 南海ホークス時代からのホークスファンであり

私や子供達もいつしかファンに!


忘れもしない 1999年9月25日にリーグ優勝

この日は一帆の4歳の誕生日でもありました

そして 風が生まれた年でもあり 風この時4ヶ月


一帆にとって 初めてファンになった野球選手

初めて 着た背番号は 「2 JOHJIMA」

ダイエー時代の物から ソフトバンクになってから

着ていた背番号Tシャツもいつのまにか小さくなりました

着れなくなっても 一帆にとっては大事な宝物です

今でも 一帆にとってのHEROですキラキラ