勘助のことを調べていた時、漱石が自分の娘たちにぜひ読ませたいと言っていたと知って購入。

 ついさっき読了したが、読み終わるまでに正味10か月ほどかかった。

 さっと読み終わる自分にしては珍しい。

 

 主な原因は、登場人物たちの茨城弁が読みづらく、同じ個所を行き来したから。

 漱石が序文に書いているように「何もおきない」小説からではない。

 

 確かに「何も起きない」、しかし面白い。

 勘助の「銀の匙」のようで不思議で仕方がない。

 

 筋らしい筋はない。

 前半は勘次とお品さんの生活。

 当時の本当に劣悪な農村の様子が興味深い。

 心情が描かれないが勘次がお品さんのことを彼なりに労わっている様子がさらっと描かれる。

たぶん舞台はこのあたり。今も田んぼが多い。西に鬼怒川。東に小貝川。

少し前に常総水害で被害を受けている地域。

「土」でもお姉さんが水害にあうエピソードがある@google map 

 

 

卯平にちょっと叩かれた勘次が大げさにも病院に行くエピソードがあるが、ものの本によると取手らしい。

鬼怒川を船で移動したと長塚は書いていないので歩き続けたとすると、片道6時間!

ろくなものを食べていないのに昔の日本人はすごい。@google map

 

 次いで長女のおつぎさんが成長していく様子(おつぎさんの容姿はそばかすがあるくらいしか記載がない。しかし私の脳内では素朴で綺麗な娘さん)。

 貧困の中で工夫してお洒落をしたり他の若者たちと交流するさまをカラッと描写するのだが、なんとも切ない。

 このあたりから台詞が増えはじめて読書速度低下。 

 最後は野田から戻ってきた舅の卯平さんが前面に出て、当時の農村で老いることの意味が描かれる。

石下と野田。歩くと5時間かかる!@ google map

 

 が、老人たちの強い茨城訛りの対話の応酬で頁が進まない!

 はっきりと語られることなく分かりやすい台詞もないけれど、意地を張りながらも互いに大切に思っている様子が伝わってきて、べたべたしていない品の良さを感じた。

 さすが子規門下の長塚。

 ちなみに何度も出てくる念佛寮。調べたが何も出てこず。

 「おで念佛」も右に同じ(p347)。村落で役割を失っていた老人たちの社交場だったよう。

 

 伊藤佐千夫と子規門下の双璧をなしたことは、本書の「第二の主人公」が自然であることからも明らか。

 とても緻密な自然描写で、漱石はそこをもって「読みづらい」(序)と言っているのかもしれない。

 しかし、鬼怒川沿いの野ばらについての記述に1年もかけた(!)という逸話を読むだに、細かいのに無駄なく刈り込まれているという、考えてみると相反する印象をもつ文章を、そう簡単に「読みづらい」「つまらない」といってはならない気がする。

 

 花袋は「土」のことをゾラ、特に「ルウコン・マツカル」に似ていると評している(近代作家追悼記念文集成第四巻)。

 何冊かルーゴン・マッカール叢書を読んだが、え?全然似てないけど、が私の率直な感想。

 花袋はトルストイも比較に出しているが、私はトルストイの何かを教科書でしか読んだことがないので判断保留。

 

 農民が主人公だからといって変な思想性がない。

 行動しか描かれないのに勘次、お品、おつぎ、卯平がどんな性格かわかる。

 

 他に類書のない名作だと思う。

 

 

長塚節:土 春陽堂、東京、明治四十五年(復刻版)