第二章はフーリエ。

 フーリエは、疑っても仕方がない存在まで疑ったデカルトは間違っており、肝腎なものが取り残されていると主張した。

 それは文明(p67)

 フーリエの文明観:地球の歴史を8万年とし4段階に分けた(幼年期、成長期、衰退期、老年期)。

 フーリエの考えでは、(当時の)現代はまだ幼年期であり、今のありようが永続するという前提で社会を論じた、当時の啓蒙思想家たちを批判した(p67-68)。

 

 情念論が独特。

 第一基本情念:味覚、触覚、視覚、聴覚、嗅覚

 第二基本情念:友情、野心、愛、父性

 第三基本情念:蜜謀情念、移り気情念、複合情念

 これらによって共同体(集団、集団系列、累進セクトなどに分類)が構成されると考えた(p71-72)

 そして、理性で情念はコントロールできると主張した(p83)

 

 フーリエというと「共同体的調和にとって・・・不一致もまた必要」(p80)とし、万有引力として情念引力があることから人は自ずと多婚になるなど、情念を重視した(ように見える)アナーキーな思想を展開したと誤解されがち(p85ー86)

 実際は、感覚から対人感情を経て、集団レベルの情念の様態を分析し、退屈でルーティン化を免れるるも、秩序を破壊せず、共同体全員が意欲的になれる機序を探求した(p82)

 言い換えれば、自由にすると収拾がつかなくなる情念引力を理性でいかにコントロールするか、そして共同体が破壊されないかを考えていた(p86)

  

 これは一種の普遍主義だろうと石井先生は結論なさっている(p89)

 

 つづく