中井久夫先生が「室町前後で日本の風俗は全然違う」とお書きになっていて、ずーっと気になっていた。
本屋で見つけて衝動買い。
冒頭1頁目から面白い。
当時の日本語の発音は「はひふへほ」でなく「ふぁふぃふふぇふぉ」(p19)。
「本能寺に火が放たれました!」「謀られたか!」は、「ふぉんのうじに、ふぃがふぁなたれました!」「ふぁかられたか!」という誠に緊張感の欠けたシーンになる。
中世の農民は天皇に直結しているという自意識で、公文書には「御百姓」と書かれた。
農民が虐げられていたというのは近世以後の感覚で、当時は荘園領主や侍の方が突き上げられていた(! p67)。
そもそも身分が曖昧というか兼ねているような感じで、農民も商人も侍も賊もごっちゃ。
ムラ同士が150年間、争った記録では(!! p73)、矢・刀を使い、馬も乗りまわしてもはや農民+地侍。
荘園領主や代官を暗殺しようとまでした。
室町時代に「七人の侍」はご無用。
自分たちで何とかすっからよぉな世界(たぶん)。
ところでムラについてはまだ分かっていないことが多いらしい。
荘園は行政的区分けで農民の生活領域と一致せず、彼らの実質的共同体をムラと考えるのが現在の歴史学の捉え方だという(p72)。
なので、一向一揆も、江戸時代の一揆とは訳が違う。
一向一揆は浄土真宗で、浄土真宗は悪人正機説だから、殺人犯などの「悪人」がかなり混ざっていた(p51)。
そう思うと、信長の振る舞いが違って見える。
驚いたのが、当時の日本人のとんでもないいい加減さ(おおらかさ)(第二部)。
升のサイズが、地方どころか荘園ごとに違った(!)。
しかも十進法ではなく、八、六、三進法とバラバラ。
貨幣の交換価値もずれがあり、年号まで複数あった(!! 私年号というものがあった)。
ある御家人は南朝派、北朝派、某管領派と渡り歩いた結果、彼の書簡の年号がころころ変わり学者泣かせなことに(p115)。
もっと驚いたのが朝鮮王国との交流。
使節団の記録には、実在しない人物、一字違いなら実在する人物、時代的に死んでいる人物が訪問していた(p147-148)。
要するに偽物使節団。目的はお土産の宝物。
倭寇どころではない。
当時、後進国だった我が国のことを朝鮮王朝は呆れながら見ていたのだろうと思うと、600年前だけど大変に恥ずかしい。
「鎌倉殿の十三人」ででてきた”うわなり打ち”(第3部)。
ドラマを見ていた時は政子の性格かと思っていたが、そうでなく習慣だった。
正妻は浮気相手の女性のところへ集団でおしかけ、時には相手の女性を殺すことさえあった(!こわっ!)。
メンタルヘルス的に興味深いのが所有感覚の違い。
室町時代は「一銭でも盗めば死刑」くらいの感覚だった(p248)。
当時は<モノには所有者の魂の一部が乗り移っている>と考えられていたらしい(p250)。
モースも「贈与論」で似たことを論じていた。
うつと関係すると思うので、ちょっと考えたい。
たまに「なんでこんなところに神社が?」と思うことがあるが、荘園跡の可能性があるのかもしれない。
当時は鎮守として荘園の中心に神社を建立した(p263)。
藤原氏なら氏神の春日神社。武家なら八幡神社。延暦寺の荘園は日枝(日吉)神社。
歴史学者さんが荘園跡を調査すると、神社で「あ、ここは武家の荘園だったのね」と分かるのだそう(p264)。
価値観が全く違う「日本」を垣間見ることができる。
てか、いつから今のようになったのか逆に知りたくなる。
清水克行:室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界. 新潮文庫、東京、2025