大事なこと

母親になるべきじゃなかったって思うことは「子どもたちが生まれてこなければよかった」ではない(p22)
もう一度あの子たちが産めるのなら産むけど、知らない子どもだったら産みたくない(p75)
子のことが愛おしい気持ちがある一方で、母親になりたくない気持ちがある(p139)

 つまり愛着の問題ではない(そういう場合もあるが)

 本書に登場する方たちは、産前まで妊娠・子育てを肯定的に考えていた方が多い(p30,49,106)

 では何が問題か。

 

 以下は私の造語。

 家庭圧(女はこうあれ。男の子を産め)(p25,80,131-132,163)

 社会圧(”母性信仰” 「お子さんはまだ?」 あるようで実は無い選択肢 p262-263)

 社会の非協力(p31-32,83,90,127,215,221-222,247)

 夫の非協力(手伝うが手に余るとパス。都合のいい時だけ相手をする p36,53,61,64,89,92,121,161,182,215) 

 キャリア中断(p107-114,133-138,168-169)

 ショックだったのが病院・福祉圧(p38,57-58,158,161-162,190)

 健診などで「お母さんがしっかりしないと」「お母さんがやらないと」と抽象的に説教される。

 

 夫たちも言い分がある。

 社会は男を働かせすぎ(p268 社会の非協力の男版)

 

 

 工夫

子どもを観察する(p42)
「母親」でなく「子どものファン」になる(p44)  
 母親以外の役割にずらす。ある方は「私はアイドルのマネージャー、子どもはわがままな売れない地下アイドル、夫は事務所の社長(p174)」と見立てた。夫婦関係まで「夫はだめな総理大臣で自分は官房長官(p176)」。賢い方だなと思う。

 

 どうして欲しかったか。

「そのうち楽になる」でなく「手を抜いて寝な」(p98)

両方とも言っていた。前者は却って傷つけていたか・・・反省。

具体的解決策を一緒に探すこと(p167)

誰かと解決のためのリソースを探せば、仮に解決に辿り着かなくても一人より楽かもしれない。

 

 どうすればいいか。

話す場があること(p232)
提供しきれていないことに反省しかない。
「お母さんをやめたい」と言うことと実際にやめることは全く違う。 
というか、やめられないことが分かっているからこそ嘆いている。だから黙って聞くしかない。メンタルヘルスの基本中の基本ではないか。
<母親たるもの・・・>に毒されていた自分に愕然とする。
また、「母親をやめたい」と聞くと関係者会議で、すわ!虐待(ネグレクト)か!になりそうだが、その気持ちを受け止めてもらえる場がないと子に向いてしまい、「あなたなんか産まなきゃよかった」と却って心理的虐待につながることがある(p254)という指摘は目から鱗。

 

 大事なこと。

 出産への負の感情(が 略)産後うつが原因ではなく(略)母親になりたくないという感情が理由(のこともある)(p87)

 今、業界的に”産後うつブーム”で、個人的に違和感を抱いていたので共感するとともに肝に命じたい。

 

 

 本書で知りたかったことの答え。

 子どもたちを産んだこと自体は後悔していない(略)母親という役割を演じ続ける(ことが 略)つらい(p181) 

 本書に登場する方々は子どもを産みたくないのではない。

 子育ての社会福祉医療支援が徹底的に不備不足で、それを母親根性論(もっとたちが悪いのは自己責任論)で糊塗されていることに抗議しているのである。

 

 もう一つの「この国に生まれたるの不幸」。 

 

 

高橋歩唯、依田真由美:母親になって後悔している、といえたなら 語りはじめた日本の女性たち 新潮社、東京、2024