図書館で読んで以来、探し探して幾星霜。 

 やっと見つけた。

 

 

 「手」「山の宿」「水の上」は何度か読んだ気がする。

 「オルラ」も何度読んだことか。

 大抵のモーパッサン短編集に収載されている。

 

 一番読みたかったのが「墓」だが、収獲は「髪の毛」だった。

 短編なので何か書くとネタばれになってしまう。

 

 「墓」

 感動的でないことを「感動的雰囲気」で終えるという文章的不協和音(?としかいえない)に、すごい!と思って探し回っていた。

 ただなんだか私が読んだものと少し違う??

 

 「髪の毛」

  最後の「日にシャワーを5回も使わせないといけない」に笑ってしまったというか、気持ち悪いというか、どういう感情を抱けばいいのかわからない、いつものモーパッサン読後感。

 てか、そこまで書くか、モーパッサン、人が悪いんだよ(繰り返すが、それを喜んで読む私も人が悪い)

 

 

 モーパッサンの怪奇譚は、怪異なことが起きるというより、怪異なことが起きているのではないかと「怖がっている」(怖がっていただけだった)という話が多い。

 そういう意味では、心理小説のvariationともいえる。

 

 読み手としては、登場人物の内面と実際の出来事の乖離に、なんともいえない気持ちにさせられる。

 若いころなら「バカじゃないの」と思うかちょっと笑ってしまうかもしれないが、失うことの意味や価値を考える中年になると空虚感で辛くなる。

 

 

 面白かったのが「幽霊」の原題がApparitionで、調べるとラテン語のapparitioが語源。

 見える/現れparere(apはadの変形らしい。強調程度の意味?)で、appearanceと同じ語源だと思う。

 フランス語圏は「見えるもの」を幽霊(幻影)と考える。

 魂Geistが幽霊の意味のドイツ語圏との違いが面白い。

 

 というか、英語でもapparitionという単語があり幽霊という意味をもつという(知らなかった)

 GhostがGeistからきているのはスペルから一目瞭然。

 

 

 モーパッサンの考える恐怖。

避けがたい死を前にしても、危険だということが解かっているいろいろな事態に出会(うようなことが恐怖ではない 略)恐怖は、ある種の異常な場面(略)漠然とした危機に直面して、ある種の神秘的な効力の影響を受けた場面に起こるのです。(p57)

 理由の分かっているものに対する、いわば「脅威」と、意味のわからないものへの感情、「恐怖」は違う、というのがモーパッサンの言いたいことなのだろう。

夜、幽霊が出現しなくなってからは、夜がとても空虚になり、ごくありふれた闇になってしまった。(p69)

 同じことを別の表現で。

夜の闇が(略)化け物に取り憑かれなくなってからは夜は明るくなった(p71)

 

 まとめると

人間は目に見えないものを除去して、想像力を減少させてしまいました(略)超自然的なものとともに、本当の恐怖もこの地上から消え去ってしまいました。なぜなら、本当に恐ろしいものは、どうしても理解できないものであるからです。(強調ブログ主 p70-71)

 

 

 この一文は、数年前、世界中で起きた出来事と同じようなこと。

コレラは別のもの、<目に見えないもの>です。それは昔の、過ぎた時代の災厄で、一種の悪魔みたいなものです。(p80)

 

 私たちは、”本当は”何を怖がっていたのかを考えないといけないと思う。

 

 

 

モーパッサン 怪奇傑作集 榊原晃三訳 福武文庫、東京、1989.