オペラの派手そうな印象(といっても観たことがないのだが)と違う。慎ましやで静かな雰囲気。
恋愛小説とも違う(といっても読んだことはないのだが)。
愛情だけではどうにもならないというセリフが何度も出てくる(p204-208、p293、p303 まず生活できなくてはならない。そのために経済的問題をどうするのが議論される)。
とにかく面白くて、正味2日で読み終わった。
なぜこんなに面白いのかと思ったのだが、マルグリットに共感したのだと思う。
Courtisaneからずれるかもしれないが、人から嫌われたくなくて(あるいは好かれたくて)無理をして人前で常に陽気に振る舞うことがあると思う。
そういう人はマルグリットが抱えている空虚感を理解できると思う。
ロラン・バルトは本作を「恋愛でなく承認がテーマ」と言っているそうで、なるほどと思う(p446 バルトの承認は違う意味)。
前半のマルグリットは商売柄、もちろん駆け引きをする(p147,151-153,155,213など)。
しかし、賢くて努力家(p215 6年前まで自分の名前さえ書けなかった!)のマルグリットはそんなことにうんざりしているし、周囲の自分への評価も的確に理解している(p178、245-247など 対照的なのが後半にでてくる若いcourtisane)。
もう一つはアルマンの嫉妬。
あまりにも些細なことで嫉妬するので、滑稽だったり、自己中心的にみえる。
しかし、なぜ嫉妬するかといえば簡単で、自分に自信がないから。
相手が自分以外の男に心を向けるはずがないと考えることができる”幸福な”男に、この種の嫉妬はないだろう(もっとわかりやすいことで嫉妬するとは思う)。
読んでいて、私はちょっと辛くなった。
あれ、そっちにいく?と思ったのは、マルグリットがアルマンに真の愛情を抱いてから二人の力関係が逆転してしまうこと(p215またはp245以後)。
本当にこういうことはあるの?経験ほぼな皆無な(涙)私にはわからない。
ただ、そのことが却って二人を悲劇に向かわせてしまう。
ここも面白さの理由かも。
てか、アルマンが子供っぽいだけな気もするが。
ゾラがデュマ・フュスに批判的だったと解説にある(p448)。
確かにゾラだったら、この辺りから絶対にもっと酷い展開にすると思う。
解説で、え?と思ったのが、マルグリットが色が変わる椿を常に持っている意味。
文学研究では、マルグリットが赤い椿を持っている時は「生理中でお相手できません」とパトロンたちに知らせている説が有力なのだそう(p444)。
えー、身も蓋もないなあ。
体調が悪くて吐血が多いので今日は勘弁してという意味にしようよ(と私は固く信じることにする)。
後半は贖罪や赦しがテーマになるが(p444)、私はもっと前に宗教的象徴が描かれていると思う。
マルグリットはピアノで「舞踏への勧誘」を弾くのだが、ある個所で必ず引っかかる(p137 好きでもない伯爵と一緒にいるとき、p213 アルマンとこれからの計画を一人でたてたとき)。
♯が8つ並んでいるとマルグリットは言っている(p136)。
本作はデュマの経験でほぼ実話だそうで、モデルのマリ・デュプレシスも本当に弾けなかったのかもしれない。
しかし、私はここを読んだとき、♯は十字架の象徴だし(といってもドイツ語圏だけど)、神様が世界を破壊して再生した”8”日目の世界の”向こう”に、マルグリットは進むことができないのだなと思った。
泣けるというよりどすんと響く作品だった。
Dummas, A(fils):LA Dame Aux Camelias. 1848(1852) 永田千奈訳 光文社古典新訳文庫、東京、2018)