ご自分では臨床をなさっていない方の議論。
10年近く積読だった。
山竹さんのお考えでは、症状は不安の顕現、または不安の回避(第Ⅱ部)。
治療は、他者の承認を介した自己理解と一般的な意味での他人からの視点の内面化(第Ⅲ部)。
第Ⅱ部は、きっと山竹さんが猛勉強なさったに違いない、様々な学説の集大成のような趣き。
しかし養育状況への注目の度合いが強くて、内因性疾患には届かないのでは・・・
私がもっとも勉強になったのが第Ⅰ部。
面白かったのが、様々な治療法が(精神分析も)実は実存的な側面をもっているという指摘。
ユングしかり、ホーナイしかり、フロムしかり、ロジャースしかり(ロジャースは当たり前だが)。
ランバートの論文は有名で、読んだときは衝撃的だった。
技法は治療因子としてほとんど重要ではないという結果で、読んだ時は衝撃と同時に「やっぱり?だよねー」と思い、以後、XX療法だーYY療法だーとこだわるのをやめた。
なので学会などで、若い方が「この人にはZZ療法をやるべきだと思います」など発言なさるのを聞く度に、「若いっていいなあ=何かを信じるっていいなあ」と思う。
さて本書に刺激されて考え直しているのが無意識について。
当然、精神分析の意味での無意識ではない。
私はだいぶ昔、精神分析の勉強(=自分が受ける)したが、ピンとこなかった。
だから精神分析から離れた。
今のところ、自分なりの無意識(というか、意識外?)を3つ、考えているのだが、なかなかまとまらない。
早くラヴェッソンを読まないと思いつつ、時間が・・・・
あとリクールを読みたいのだが、実は一度挫折している。
日本文化の中で無意識について論じた本も買ったが長い事積読。
その上で自分の経験と比べたい。
しかし、この年齢でもまだ考える材料があることの、なんと幸せなことよ。
てか、読みたい本がまだまだある。
山竹伸二:心理療法という謎 心が治るとはどういうことか 河出ブックス、東京、2016