酒井さんがゲストでこの本を紹介していたラジオ番組を聞いて購入。
その時に取り上げられていたのは「ミヤコとアズマ、永遠のすれ違い」。
妻と初めて京都に行った20代の頃、無茶苦茶緊張したことを思い出した。
”東夷をバカにするなよ”とバカ丸出しな自意識過剰さで空回りし、美味しそうな飲食店を素通りしていた。
すまん、妻。
「おたくが先達、”好く力”格差」「モテなくていいけど、出会いたい」も共感。
おたくの人々の多幸感の源は、「好かれる」ことに無関心、というところにあるのでは(p119)
その姿勢は、「モテ」に汲々とする人々と正反対に見える(p119)
「モテる」とはすなわち、相手から好意を寄せられるのを待つという、受動的行為(p230)。
なるほど。
私がモテないことにさほど苦痛を感じず、モテたいとも思わなかったのはこういうことかと納得。
オタク気質なので、確かに好きな”もの”を集中したい。
一つだけ。
酒井さんがお気づきでないのは、だからこそ、稀に現れる好きな人に相手にされないことが、「モテ」を追求している男より(多分)大変に苦しいこと。
「五十代からの『楢山』探し」
「若さ」や「若い」という言葉の対義語を、我々は持っていません(p36)。
確かに。
「年相応」は褒めても貶してもいない。
褒めるには「年の取り方がうまい」と文章にする必要がある。
ただ、日本人が好きな”若い”は、本当は”幼い”ではないかと思うけど。
膝を打ったのが「姫になりたい女の子と、姫として生まれた女の子」。
姫といえば、娘が小さかった頃のこと。
東京にはない”東京なんとかランド”でお姫様の恰好をさせた。
酷暑の中、一々キャストさんから「ようこそ!プリンセス!」と声をかけられ、その度に鼻を膨らませて彼女はあちこち徘徊。一緒に歩いていただけの私の方が熱射病気味になり、うまい(かつ高い)夕食を食べ損ねたことを思い出した。
恐るべし、プリンセス効果。
それはいいのだが、酒井さんの本ではシンデレラ型(嫁プリンセス)は(婚家に)”入る”が、白雪姫型(娘プリンセス)は(実家を)”出る”と指摘(p177)していて、考えてみると当たり前だけど、なるほどなあと思う。
この表現もPC的にはもうアウトなのだろう。
こういう発想がいきている間は、メンタルヘルスの仕事で参考になる気がする。
母娘関係の難しさの一つの理由かもしれない。
「稼ぐ女と、使う女」
今や、女性の夫自慢は
「夫も自分程度に家事をしている」(p245)
とはいえ、
「主夫」などと友達に囁かれることは、決してよしとしないのです。(p247)
すいません、どっちかに決めてください。
「遅ればせながらの金融教育」
我が家の金融教育はオリバー・ストーンの「ウォール街」を見せることなので、うちの子供達は将来、金持ちにならないと思う(すまん、我が子らよ)。
この章で面白かったのが「タラントンのたとえ話」から、キリスト教社会では「与えられたものを死蔵せず精一杯活かして次の段階に進むべき」(p254-255)「挑戦第一主義」(p256)の発想が根強くあるのではという指摘。
これが新自由主義の根幹か・・・
他に、デジタル・バカな私は切実な思いで読んだ「デジタル下層民として生きる」や、頭の良い人は何も言わなくてもこちらをバカにしているのがなぜか分かるよねーと酒井さんと同じ気持ちになった「バカ差別が許される理由」も面白かった。
あと、私も日本が(無理して)経済的に世界で1番になる必要はないと思う。
諦めではなくて、ヨーロッパのように文化で勝負すればいいと思っているので。
酒井順子:消費される階級 集英社、東京、2024