やっとしっかりと読み終わった。
正味、2か月かかった。
冒頭にサルトルの名前が出てくるので、なぜかサルトル嫌いな私は、何度も読むのを挫折していた。
この本を買ったのは20年前だから、20年間積読してやっと読み終えたことになる。
必要に迫られないと、仕事の本はなかなか手に取らないものだなあと思う。
まとめの自分用のメモも、書いては訂正しを何度も繰り返した。
突っ込みどころはいくつかあるのだが仕事で使うと思うので、ここでは書かない。
ずーっとピンとこなかったのが「役割と距離が無いDistanzlos」という比喩表現。
私は仕事をしているとき、とりわけ集中しているときは、私自身と役割との「距離を失っている」と思う。
たとえば職場では”先生”になり切っていて、”夫”や”お父さん”の役割が念頭に浮かぶことはほとんどない(仕事の必要に迫られれば「あえて」そうするが、それも”先生”の役割内で行っている)。
仕事がひと段落して雑談でそういう話題になり、TPO的に許される状況ならそちらの役割に移行することはある。
それから家庭内で子どもに対して、私は「お父さん」以外の何ものでもない。
突然、子どもたちに対して「男」としての私がでてきたら、大変に奇妙な(あるいは危険な)関係性になるだろう。
ただ、Krausはそういうことを言いたいのではないらしいのはわかった。
それにしても「距離がない」という比喩は、Krausの意図からずれていると思う。
それから同一化という言葉の使い方も、Erikson経由としても何か違う。
私が面白と思ったのは理論的なことではなく、悲哀、神経症圏のうつ、統合失調症との鑑別だった。
本書は、一般的に<役割から躁うつ病を論じた>とされていて、躁うつ病と他の状態との鑑別で興味深い指摘があることは、あまり論じられないと思う。
余計なお世話だが、なんだかKrausが可哀そうな気がする。
Kraus, A:Sozialverhalten und Psychose Manisch-Dpressiver. Enke, Stuttgart,1977
岡本進訳:躁うつ病と対人行動 みすず書房、東京、1983.