この本について、春日先生とどなたかが対談なさっている動画をYoutubeで見つけて購入。

 読後に拝見しようと思っていたので、対談は未見。

 

 

 不特定の方の眼にふれるブログなので、自殺に関する内容には一切触れない。

 

 

 春日先生の処女作でいわばキーワードだった「ありがち」は本書でも健在(p104)

 

 バリントのフィロバットがアクロバットに由来しているのは、そうだろうなあと思っていたが、原著を読んでいなかったので、改めて勉強になった(p172)

 アクロバットの語源はacro高い―bai行くで、philoは愛のことだろうから、フィロバットは”(高いところに)行くのが好き”みたいな造語か。

 オクノフィルはその逆だが、オクノocnoは「ひるむ、しがみつくを意味する」(p172)のだそうだ。(ギリシャ語を調べようとしたがわからず)

 

 固執や視野狭窄が、一種の生存戦略というご指摘はなるほどと思う(p196)

 

 うつ親和性のある人は「係長から課長への昇進より、日本一の係長になることを望む」と、中井久夫先生は指摘なさっていたらしい(p291)

 ちょっと共感。

 その職域での比類なさという評価は嬉しい。

 でも、地位が上がるという形の評価は嬉しくない、というかめんどくさい(でも給料があがるのは嬉しい)

 私もそのうちうつになるかもしれない。

  

 

 さて本書でもっとも印象に残ったのは自殺と関係ない話。

点数化や数値化で「合理的に」ものごとを判断する(略)タイプの人間は、おしなべて「一見したところは利口だが最終的には頭が悪い」輩が多い。(p149)

 私は、春日先生のように”頭が悪い輩”とまでは断言しないけれど、あまりお付き合いしたくないタイプの方だなと思う。

 

 春日先生は、天職と思っていたお仕事をお辞めになる決意をなさった。

製薬会社の手先と成り果て、脳の検査に明け暮れ、あるいは生化学や遺伝子などの研究に我を忘れ、目の前の患者よりもマニュアルやエビデンスを重視し、いっぽうそうした理科系そのものの冷たい振る舞いの反動として浪花節めいた、あるいは猫撫で声の安っぽいヒューマニズムを振りかざすような業界に「うんざり」したのである。(p336-337)

 同意。

 

 

 

春日武彦「自殺帳」 晶文社、東京、2023