私は詩のよい読者ではないが、三好達治の解説本を読んで興味をもち購入。

 丸山は三好の友人だったらしく、このアンソロジーも三好と同時掲載。

 

 なるほどと思ったのが、この本に掲載されている(初期の?)三好の詩のいくつかは確かに朔太郎の影響を感じる。

 ただし、私が読みたかったのは丸山。

 

 三好の解説本にあった詩とテイストが異なって驚いた。

 おそらくあの本で紹介されていたのは戦前の詩だろう。 

 屈折したユーモアに惹かれていたのだが、本書では(おそらく)ほとんど戦後の詩。

 

 ところがこれがいい。

 

 驚くほど素直でまっすぐで、少し恥ずかしくなるくらい。

 しかし、私のような心の汚れた中年にはずしりとくる。

 若いころに読んだら小ばかにしたに違いないと思うので、文学作品は読む時期があるのだなと再確認。

 

 

 「青い黒板」の解放感は格別。

 平易な言葉で戦後の青空教室を詠っただけなのに、どうしてこんなに爽やかなのだろう。

 

 丸山は水や海を愛したらしい。

 「水の精神」から。

 水は気配を殺していたい それだのにときどき声をたてる

 なんだかわかる。

 確かに静かに生きていたい。

 水にはどうにもならない感情がある

 でも生きてればそうだろう。

 形のないことが情けない

 自律的であること、主体的であること、LGBなんとかな世の中的には禁句だろうけど、昭和では「男らしく生きる」ことを求められた。

 私も昭和価値観の人間。

 でもそれはある種の精神にとっては負担でしかない。

 

 

 「嘘」

 思春期の心性をうまく歌ったもので、さすが教師だった丸山。 

 というか、学校の先生はこの詩を読むべきだと思う。

 

 気持ちに言葉が追い付かず、結果として嘘になってしまうことは思春期なら誰でも経験しただろう。

 でも少年にとってはむしろ

欺されているのは自分ばかりだと

空や雲に涙を流さないと誰が云おう

 

 

 「汽車に乗って」「練習船」も平易な言葉の詩だが、周期的にふっと遠くに行きたくなる私は惹かれた。

 完全に私見だが、これらの詩は単に異国への憧れを詠ったものではないと思う。

 

 丸山は父親が官吏だったので各地を転々とした。

 私も似た境遇だったので同じ場所にずっといるのが苦手になってしまった。

 同じ育てられ方をしていないと理解、共感できない詩ではないかと思おう。

 一見、簡易な詩なだけに。

 

 

 「未来へ」はいつの詩なのだろう。

昨日の悔いを一つ一つ撃ち殺して

 中年になると、未来に向かうことは希望を目指すというというより、生に(あるいは日常に)急き立てられ過去の何かを捨てていくことのように感じる。

 これも若いうちにはわからなかっただろうなあ。

 

 

 本格的な丸山の詩集、特に戦前のものを読んでみたい。

 

 

 

日本語を味わう名詩入門10 荻原昌好編:丸山薫 三好達治 あすなろ書房、東京、2021