最近、小説の表紙が「ANIME」や「MANGA」タッチで、ちょっと戸惑う。
本書も往年のスタジオぬえ風味だったらなあと思いつつ、「著者サイン本」で即、購入(購買動機が不純)。
本当に高野先生のサインですよね、
店員さんが適当に書いたんじゃないですよねと疑ってしまう、
味わいのあるサイン。
私は入らずじまいで閉店したあのデパート。
あと西友。隣は〇I〇I。
桜川沿いは、かつてあの辺りに軍人さんがいた名残ですね。
軍人のいるところ、色街あり。
・・・という地元ネタ(私は18歳になってから知ったものばかり)を楽しんでいるうちに、Windowsの数字とインストール法が?、あれツェッペリン号だっけヒンデンブルグ号だっけ?という大ネタだけでなく地元ネタでも、駅前モールの名前はそうだっけ?
・・・と引っかかり、「あれ?」「ああ、違うか」とミルクボーイの漫才的往復を経て、ああ、この子たちはやっぱりアレな感じに物語は収束か、ちょっとがっかりかな・・・と思っていたら、そっちか!(これだよこれ!!)
てか、裏表紙のあらすじに結構大事なことがさらっと書いてあるではないですか。
これはいけません(早川書房さんに改めてほしいです)。
いきなり読み始めて良かった。
虚実を絶妙に混ぜる高野先生のこれまでの作品の多くがヨーロッパが舞台だったので、前景にたつのは知的面白さだったのだけれど、本作は舞台が<時空的>に近いので情緒的な面白さが際立ちます。
私が面白かったのが2人の立ち位置。
生々しい身体性をもつナツキさん。
きらきら女子との微妙な距離感で居心地の悪さを感じる思春期女子(男子にもこういうのはある)。
こっち業界では過飽和状態なあの傾向がある(らしい)ために知性が優位で、(たぶん内分泌系の病気で)薬を決まった時間に飲む時くらいしか身体性を意識しないトシオくん(とはいえ、飲み忘れた状態も身体性に欠ける=「頭がもやもやする」)。
自分の知性に無意識のうちに矜持をもっているけれど、まだ何者でもないことで自信を持てず不安を抱えた思春期男子(女子にもこういうのはある)。
ちなみにカタカタにした2人の名前を「重ねる」と、お?という感じ。
理系なのに物理や数学が赤点レベルで諦めたのだけど、本当は宇宙論(超ひも理論とか、大統一理論とか、インフレーション宇宙論とかのあれ)を学びたかった私には、違った意味で”ノスタルジック”な作品。
しかし、つい先日、TSUTAYAで借りた「インターステラー」を子供たちと見て(その時に本書を購入)、自分自身がベルクソンに浸っている今、この本と出逢ったことになんともいえないか仮想粒子的ゆらぎを感じてしまう(意味不明)。
ところで、高野先生はまだフランツ・ウェルザー=メストファンでいらっしゃるのだろうか?
高野史緒「グラーツ・ツェッペリン あの夏の飛行船」 早川文庫、東京、2023