ここ数年読んだ本で、もっとも衝撃的だった一冊。
約450頁で「自立する」本。
途中で整理したくなって、読み進めながら前に読んだ部分を再読する「カノン的読書」にしたので、一層時間が必要で、3か月かかった。
でもいろいろストレスの多いこの時期、いいストレス解消法だった。
膨大なのでメモを分ける。
支えなくても勝手に立ちます。
第一講 1902年12月5日
相対的な知:外から・部分と複合・記号・模倣
絶対的な知:内から・不分割・単純・事物・持続すなわち時間
内からとは「知的共感sympathetie intellectuelle」によって把握すること。
例がいくつか挙げられるが、たとえば英語を発音記号から知ること(相対的)と、実際に話者として話し聞いて身に着ける知(絶対的)(p27-28)。
第二講 1902年12月12日
模倣・複合・多様・再構成・固定性としての記号
記号の3つの特徴:一般性、行動誘発性、固定性
内的生:連続的流れ、動性そのもの
(内側からみた)運動:一種の心的状態
第三講 1902年12月19日
概念=抽象化(概念の形成はいわば行動の怠惰parcesse p73)
知覚:連続性=量 ⇔ 行動:非連続性=質 → これの積み重ねが概念
たとえば、秤で物の重さをはかる。この段階では連続的で重さは量である。
しかし、「重い」「軽い」をどこかで<区切る>=非連続性の領域にはいると、重さは質になる。
第四講 1902年12月26日
概念(ありのままではない):習慣的で通常の思考・外からの視点・行動に関わる視点(人間の概念の特徴:反省できる、語にする、拡大できる)
直感(ありのまま):内的生・意識的生・持続=時間
知覚そのものは連続。しかし行動のために知覚は記号的になる(記号性をもつ=記号そのものになるのではない)
持続:後続するものへの先行するものの浸透penetration
たとえば、私が知覚した段階では知覚対象は連続的(形や色はモヤモヤしたもの)。しかし、行動するには連続した知覚をグルーピングしないと動けない(あそこに<机>があり、あそこに<ドア>があり・・・と情報をまとめる。当然、膨大な情報がカットされる)。この時、同時に<ドア>についての概念(記号性)が形成される。そしてそれは非連続で質的である。
第五講 1903年1月9日
ギリシャ哲学の精確さは発明で、歴史上の偶発時だった。
(精確は精神に不可欠の本質的な性質ではありません。それなしで済ますこともできます。「だいたい」ということで、実践的な(略)理論定な事柄さえも(略)間に合います。p93 ベルクソンがいい意味で常識的で”普通の感性”を持ち続けた稀有な天才だったことが分かる気がする)
ロゴス=言葉だけでなく、証明という意味があった。
エレア派は、生成変化はしない不動性(永遠性)、空間性、再構成を重視
ベルクソンの立場:現実は進展し、生成変化する。時間、運動と持続を重視
(つづく)