子供1と見に行った「Psycho-Pass」で三好達治がキーワードだったので購入。

 先日、読み終わった。

 

 紹介されている詩人は藤村、白秋、高村光太郎、暮鳥、村山槐多、中野重治、朔太郎、堀口大學、犀星、中也、立原道造。

 以上は知っているが、薄田泣菫、蒲原有明、伊良子清白、三木露風、中川一政、佐藤惣之助、大木惇夫、佐藤一英、丸山薫、竹中郁、田中冬二、津村信夫、伊藤静雄となると文学音痴の私には「誰?」。


 

 印象に残ったもの。

 

 藤村の詩を、三好の師匠朔太郎の「詩の原理」と同じく、音の美しさで分析。

 

 白秋は「邪宗門」と「謀反」を紹介。

 迫力と切なさの点では、初めて読んだ「謀反」が素晴らしいと思った。

 調べてみると、朔太郎は白秋の影響を受けたらしい。

 確かにペダンティックなところが似ているかもしれない。

 

 面白かったのが槐多。

 京ことばで詩作し、内容と文章がぴったり一致。

 

 三好は堀口を二回取りあげて褒めている(高校時代の愛読書 p170)

 言葉使いが新しく(p174)瀟洒(p181)、そして官能的(p263-264)

 うーん、ピンとこない・・・(「ハイカラ」なのは分かる)

 一方、中也は「つむじ曲り」で語感が強引、「語彙と技法に乏しい」と辛口(p228-230)

 うーん、そうかあ・・・。

 また犀星の詩を二回「スロー」と書き(p123、257)、師匠の「無智の一得」も引用(p257)

 三好は師匠が「揶揄い気味」に「無智の一得」と書いたと述べているが、私の個人的妄想では、余計な理屈と無縁な犀星のことを朔太郎はむしろ羨んでいたのではないかと思う。

 というか、読んだことがある三好の詩は、朔太郎より犀星に似ていると私は思う。

 

 

 

 全体に。

 

 三好達治の人柄が滲み出ていて、誰に対しても悪しざまなことを決して書かず、自身が分からないことは真っ正直に「分からない」と書く。

 

 もう一つ面白かったのが、「ここは論理的におかしい」「これは時代的にありえない」と一々指摘していること(p67、朔太郎の説明p153-169 人称、空間、文法などに誤謬があるとしている。もちろんそれが重要で、朔太郎は「外なる世界一般の否定」から出発したのだと説明している、p189)

 

 詩だから論理とかすっとばすのが醍醐味でないの?と、最初は疑問に感じた。

 ところが読み進めているうちに、論理性を大事にしているからこそ、その飛躍や錯誤に気がつき、面白いと感じられるのかもしれないと考えなおした。

 とはいえ、「飛躍的」な文章は「非連続ではない」ことがわからないと「詩を解しがたい」ことになるとも述べていて(p179)、文脈を無視すると反対のことを書いているように読めてしまう(もちろん同じことを逆の視点から論じている)。

 

 個人的な宿題。

 佐藤惣之助の詩を新感覚派の先駆としている(p129)

 

 

 

 本書で初めて知って、読んでみたいと思った詩人さん。

丸山薫
 日常風景をとぼけた雰囲気で描いた詩で、三好も点数が辛め(解説p282)。 
 しかし、解説によると、丸山の父は朝鮮総督府警視総監だったという。
 そう思って読み直すと、まったく印象が違う。本当に驚くほど。 

 

蒲原有明

 本書で紹介された詩はどれも艶めかしい。

 制御しきれない青年期の男の生理が露骨でなく表現されていて、「ドゥイノの恋歌」より切ない。

 

三木露風
 白秋と「双璧をなした」らしい(p89)
「現身」は抽象的で、朔太郎は白秋と露風の両方から影響を受けたのではと妄想。
「ふるさとの」は逆に驚くほど素朴で、その振れ幅に惹かれる。

 

田中冬二

 本書で紹介された詩はかなり衒学的で、私には直球どストライク。

 

大木惇夫

 短歌かと思うほど刈り込まれた詩。

 なまじ風景描写があるより、この表現の方が私にはピンとくる。

 

 老後の楽しみに覚えておこうと思う。

 

 

 

三好達治「詩を読む人のために」 岩波文庫、東京、1991