赤十字を作った人がこんな本を書いていたのかと興味を惹かれたのだが、帰宅して調べ直したらアンリ・デュナンと勘違いしていた。

 「ナン」しかあってないではないか。大丈夫か、俺。

 

 本書ではnationを国民または国家と訳しているが、たとえば「王朝が国民だった」という訳でいいのかよく分からないので、ここでは国(民)にする。

 

 

 ルナンは、国(民)は近代にできたもので、それ以前は部族、都市、共同体程度だったとまず確認する(~p10)

 ローマ帝国もせいぜい結合体(p11)で、ゲルマン民族侵入で解体。

 その後、ヴェルダン条約(843年)でヨーロッパの基本的骨格が完成した(p11-12)

 このころの国(民)の特徴は、住民の融合だった(p12)

 重要な要因は二つ。

 キリスト教の取り込み。それも征服者が被征服者の宗教を取り込んだこと。

 もう一点が自分たちの言語の忘却だった(p12)

 

 フランク人、ブルグント人、ゴート人、ロンバルト人、ノルマン人たちはラテン人たちと婚姻し、徐々にフランク語やゴート語は消滅(p12-13)

 貴族階級も習慣や教育などの違いから(自然発生的に)生じただけで、それが忘れられ「王から叙せられた」という誤った考えが一般化した(p12)

 

 以上から、国(民)創生に重要なのものは<忘却>と<歴史的誤謬>であるとルナンは主張する(p14)

 忘却は言語だけではない。

 統一の過程に必ず暴力や殺戮があったが、それらの忘却で人々はまとまった(p14、16)

 カール・シュミットが晩年主張していたことに似ている。

 興味深い。

 

 

 では王朝が国(民)の起源か。

 スイスやアメリカ合衆国は違う(p18-19)

 

 人種か。

 歴史的に人種と無関係に境界線は引かれたし、婚姻で曖昧になった(p21-22)

 ルナンの表現では、ヨーロッパ最初の諸国民は本質的に「混血」である(p25)

 

 言語は。

 スイスでは4つの言語が話されている(p27ー28)

 また、ルナンは言語の忘却を指摘していた。

 

 宗教か。

 先に社会集団があり、その掟や共通の習慣から宗教に発展したのであって、宗教が集団を作ったのではないとルナンは主張する(p30)

 さらに近代に入り、宗教は国(民)を形成する力を失った(p31)

 

 利害の一致か。

 ドイツ関税同盟は国(民)ではない(p31)

 

 地理的条件。

 山脈が自然国境を形成することはあったが、川は結びつけた。

 

 軍事的戦略的条件は。

 重要なのは土地そのものではない。

 土地は基盤でしかなく大事なのは人間である(p33)

 

 

 

 ならば、国(民)とは、一体、何か。

魂であり、精神的原理です。(p34)

 

 精神的原理とは、一つは伝統、もう一つは共に生きたいという願望。

 

 そして有名な言葉らしい

国民の存在は(この比喩を使わせてもらえば)日々の人民投票である。(p36)

 が続く。

 

 ちょっと分からないのが「国家nationの存在は、投票結果が根拠である/投票行為によって担保される」なのか「国民nationの存在意義は、投票行為にある」という意味なのかである。

 

 前者なら国家の定義、後者なら国民の定義になる。

 両方なのだろう。

 

 

 面白かったのが解説。

 普仏戦争の敗北でルナンはこの講演を行った。

 ナポレオン戦争に敗北したドイツは、フィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」(1807年)を発表。

 フィヒテは、根源的言語を保持した根源的民族Urvolkがドイツ人だと愛国心を鼓舞した(p48-49 ラテン語に影響されなかったということを誇っているらしい)

 大変にキナ臭い。

 

 つくづく、ドイツ人は本当に”根源Ur”が好きなのだなあと思う。

 

 

 

 

エルネスト・ルナン「国民とは何か」 長谷川一年訳 講談社学術文庫、東京、2022

Renan, E: Qu'est-ce qu'une nation? in Discours et conferences, Calmann-Levy, 1887