子ども2、こども3と鑑賞。

 子供達は「おもしろかったー」でしたが、私はなぜか精神的にしんどかったです。

 「シン・ゴジラ」の時はこういうことはなかったので、自分でも驚きました。

 もちろん映画としては大変に面白かったです。

 

 

 冒頭から「戦争に負けること」あるいは「負けて帰ってくること」は、どういうことかを突き付けられる。

 

 私の母は昭和20年代初頭に生まれているので、映画のあの子と年齢がほとんど変わらない。

 父は終戦時小学生くらい。

 前半まで、映画を見ながらふっと両親のことを思い浮かべることがあり、あんな環境で・・・という気持ちでしんどさ倍増。

  

 銀座のシーンも重い。

 もしかすると、ああいうことは起きたかもしれないではないですか。

 

 主人公が、ゴジラに対するトラウマを抱えている設定ですが、要するに戦争に対するトラウマを抱え続け、ずっと苦悩しているというのもしんどい。

 

 国際事情に振り回され、占領時代は(もちろん1951年以後も)、結局、民間でなんとかしなければならなかった日本の戦後事情も見ていて苦しい。

 (ゴジラ退治は戦後復興の比喩になっていると思います。戦闘機を作った人が新幹線を設計していますし、世界に冠たる楽器メーカーYAMAHAが曲線の多い楽器を作った会社なのも戦闘機と関連していますものね)

 

 作戦名が「わだつみ」だったり、最後に敬礼したりしたシーンをみて、ゴジラの怒りを思うと、また精神的に・・・・。

 

 

 

 ああと思ったのが「いつまでも俺の戦争は終わっていない」という、ありふれた台詞をきいた時。(娯楽映画に無粋なことを書くと、この映画は「ありふれた台詞」が多いです)

 

 ゴジラ映画が「いつまでも終わらない(繰り返し制作される)」のは、私達のどこかに戦争の傷がまだ残っていることなのかと改めて思った次第。

 

 私の母方祖父は兵隊にとられて中国に行ったそうですが、「ひたすら歩いたなあ」くらいしか話してくれませんでした。たぶん、話したくなかったのだと思います。

 母方祖母は、空襲の時、娘(私の叔母)と防空壕でどのように過ごしたかを、よく話してくれました。

 私にとっては具体的な誰かが巻き込まれているので、あの戦争はまだ「歴史上のできごと」ではないと思っています。

 

 

 怪獣娯楽映画に大袈裟ですが、ゴジラ映画がつくられなくなった時は「やっと戦争が終わった」時なのかもしれません。

 同時に「次の戦争」(を始めること)への抵抗感がなくなっているかもしれません。

 

 そう思うと、ずっと日本でゴジラ映画が作られ続けていることは大事なことなのかあと思ったり・・・などと、繰り返しますが、娯楽映画に七面倒なことを言って無粋なんだよ、な感想を抱かさせられた映画でした。

 

 子供達はもう一回見たいと言っていますが、私はもういいや。

 

 ところで、やっぱり劇場で見た方がいい映画だと思います。

 

 

 

 

山﨑貴監督「ゴジラ -1.0」 2023年11月日本公開