古本屋で見つけ、ちょっと立ち読みして購入。
「幻談」「観画談」以外は分類不能な作品。
しかし、いずれも面白い。
まず語り口。落語のまくらを読んでいるよう。
文末が「ですます」で、ゆるい七五調。
明快かつ調子がいい。
とぼけたユーモア。
些細な話に惜しげもなく古今東西の知識が披露される。
冒頭は以下。
こう暑くなっては皆さん方があるいは高い山に行かれたり、あるいは涼しい海辺に行かれたりしまして、そうしてこの悩ましい日を充実した生活の一部分として送ろうとなさるのも御尤もです。が、もう老い朽ちてしまえば山へも行かれず、海へも出れらないでいますが、その代わり木庭の朝露、縁側の夕風くらいに満足して、無難に平和な日を過ごして行けるというもので、まあ年寄はそこいらで落ち着いて行かなければならないのが自然なのです。(以下略)
斎藤茂吉が「これほど洗練された日本語はない」と褒めたという。
洗練とちょっと違う気がするが、するすると読めてしまう気持ちのいい文章。
冒頭部分は、私の脳内では志ん朝さんの声に勝手に変換されてしまう。
かといって、作品によっては簡単な内容ではなく、難読漢語もバンバンでてくる。
読めない字があるのに、なんだかおもしろい。
時々意味が分かりにくいけど、読み通せてしまう。
このような作品を中学くらいの教科書に載せたらいいのではないかと思う。
「幻談」は、神田川をセーヌ川にすると、モーパッサンにこういう怪異譚があったような・・という内容。
異様に細かい釣り竿釣り糸談義が、遊び人ぽくていい。
「観画談」も怪異譚(のようなもの)。
ざあという雨の音からあらゆる音が生み出されているように感じるというくだり(p64)、レヴィナスのil y aを思い起こさせる(ような気がする)。
「骨董」は少し説教くさいけれど、ユーモアで帳消しに。
露伴の博覧強記ぶりで話がどんどん横滑りするのだが、文章を追いかけていると、物知りの古老の雑談を聞いているようで楽しい。
最期の「盧声(ろせい)」も釣り談義がかなり長い。
読後感が心地いい。
もっとも気に入ったのが「魔法修行者」。
「まじない」の「まじ」は否定的な意味だったとか(p127)、御稲荷さんの<いなり>は<稲なり>からきているとか(p135)、飯綱の法(p137)とか、どうでもいいといえばどうでもいい知識が羅列され、さしずめ大正の荒俣宏。
後半は飯綱の法を会得した人物が2人、紹介される。
細川政元と九条種通(たねみち)。
政元はとても興味深い人物なので、今度、じっくりと調べたい。
滅茶苦茶かっこよくて好きになったのが九条種通。
戦国時代に公家のトップにいた人物だそうで、日本史に詳しくない私は初めて知った。
意気揚々と上洛し、公家衆はさぞかし自分に平身低頭だろうと得意満面な信長に対し、立ったまま対面して「上総介(当時の信長の位だったらしい)、上洛めでたし」とだけ言ってさっさといなくなった(p152)。
今度は秀吉が上洛し、「藤原を名乗りたい」と言い出した際、公家代表のもう一方、近衛家は「宜し」としたが九条は「理にかなわん」と待ったをかけ、秀吉は藤原姓を諦めた(p153-154)。
ある公卿が訪問し、最近は何を読んでいますかと問うと「源氏」、「いい歌集はありますか?と問うと「源氏」、お寂しいでしょうからどなたか寄こしますかと問うと「源氏」と返事をしたという(p155)。
種通、暇さえあれば源氏物語を読んでいたという。
年を取ったら、これくらい喰えない爺さんになりたい。
露伴って「努力論」の説教くさい人だと思っていた。
機会があれば、長編を読んでみたい。
幸田露伴「幻談・観画談」 岩波文庫、東京、1990