ルーゴン家の三代目。
ちょうどマッカール家のナナと同世代。
向かって左がルーゴン家(R)で黄で囲んだのがアンジェリック。
向かって右がマッカール家(M)で、赤線を引いたのがナナ。
主人公は、母が誰かは分かっているが、父が不明な孤児の少女。
母だけしかわからないというのは、あのお方に似ている。
名前はアンジェリックangelique(eにアクサン)。
天使。
本当にゾラの作品かと思うほどストレートな悲恋もので、読み終わってとても驚いた。
しかし、よくよく考えると、ラストも含めゾラらしい。
アンジェリックにとって大事なのは聖アニュス(第一章、第六章)。
Wikiで調べると、少女、夫婦、純潔、性暴力被害者の守護天使なのだそうだ。
子羊と発音が似ているので、しばしば聖アニュスは子羊と共に描かれるという。
エル・グレコの絵画で、前列向かって右で子羊を抱いているのが聖アニュス。
この絵の聖アニュスが私はもっとも美しいと思う。
元来のアンジェリックの性質は、怠惰、狂乱、熱狂(p19-20、30-31)。
引き取った義両親は深い愛情と献身的で根気強い教育で、彼女を働き者で優れた刺繍婦に育て上げる(第二章)。
アンジェリックは学問に関心を向けず、聖人たちの物語に耽溺する。
あまりに強く想像の世界に埋没し、第三章から第四章などは聖人にまつわるアンジェリックの夢想とアンジェリックの実際の様子が混ざりあい、現実か空想かわからない描写になっている。
夢想する時、アンジェリックは己の遺伝、血を感じている(p71、134、170、204、218、223)。
一方、環境も彼女には大きな力になっていることも感じている(p72、87、117、172、201、224)。
単に遺伝だけでなく、環境の組み合わせが重要というところに、ゾラの思想が感じられる。
第七章の二人の愛の告白の情景は美しい。
下弦の月に照らされている。
下弦の月ということは満月を過ぎているので、あとは欠けていくだけだ。
二人の行く末が暗示されているようで、こういうところはゾラらしい。
ところで、この物語はアンジェリックが主人公のようだが、私は違うと思う。
アンジェリックは、キリストのような男性を望んだり、金持ちで美男子と結婚すると夢想したり、矛盾したことを述べる(p97など)。
俗っぽいかというと、働き者で宗教倫理に服従して己を犠牲にしようとさえする。
この破綻した性格設定はゾラにしては珍しい。
彼女は実在するようで実在しない天使で、この物語全体が夢というメタ構造として描かれているのではないか。
私の考えでは、彼女は二度死んでいる。
さて、この物語の主人公はアンジェリックではなく、ある問題を抱えた夫婦と親子だと思う。
母親に反対された結婚で、呪いを受けて子に恵まれない夫婦。
二人は慎ましく生活している(p21-22、169、209)。
妻(母親)が出産時に死に、わだかまりが生じた父と息子(p153、160、180)。
夫婦は、自分たちと同じように相手の親から反対されている義理の娘の結婚を、自分らとは逆に諦めるように説得する。
自分たちと同じく不幸になると考えているから。
しかし、娘は自らの力で結婚への道を切り開き、異なる道を歩み始める。
そして、そのことを彼らは認めることにする。
その刹那、彼らは呪いから解き放たれ、望んだものが訪れる(p251)。
息子が生まれることで、愛する妻は死んでしまった。
父親はどうしても息子を許せなかった(p160)。
しかし、父親が許せなかったのは本当は息子ではなく、自分の中にある激しい情熱だった。
妻に生き写しの息子が情熱の充足を願い、妻と重なる少女が純粋に懇願する姿に、彼の中に妻への情熱が戻ってくる。
父親は息子と娘の身分違いの結婚を許すことで、自分とその妻への想いを受け入れ認めることができるようになる(p180-235)。
二組とも、一度犯した間違った選択をアンジェリックを通じて辿り直す。
親は子の結婚に反対せず、結婚を認める。
男は自分の激しい情熱を否定するのではなく、あるがままに受け入れる。
人が犯した罪を背負って消滅する。
まさにキリスト。
ルーゴン・マッカール叢書では「休息のために軽い読み物」扱いのようだが、とんでもない。
この叢書で、もっとも美しい物語だと思う。
ゾラ「夢想」 小田光雄訳 論創社、東京、2004
Zola, E: Le Reve. Charpentier, Paris, 1888