これも出張先で買った本。

 ある講演会でこの概念を知ったばかりだったので、ナイスなタイミング。

 

 なるほどと思ったのが、自閉症スペクトラムのフェノタイプが男女で違うかもしれないことと、関連して質問紙が女性向けではない可能性があるという指摘(p7)

 

 自閉症スペクトラムが女性では判断されにくいだろうというのは、以前から指摘されていた。

 実際、以下のような違いがあるという。

 

 女性の方が反復行為が少ない。

 

 女性の方が気持ちを内に抱え込んでしまうことが多い。(p14)

 

 社会的場面で問題はないが、自宅で感情を爆発させることがある。(p22)

 

 特に暗黙のルールや意図の読み合いになる恋愛が問題。

 いわゆるいいカモにされたり、相手に謝ってばかりの不均衡な関係になる。(p28-30)

 

 

 幸か不幸か、女性の自閉症スペクトラムの方は、男より社交能力が優れているため(という言説が、何とか法案が通った今、許されるのかわからないが、そういうことになっているので仕方ない)、それなりに適応できてしまう。

 そのために”普通”のふりをすること。

 それが本書のタイトルの「カモフラージュ」である。

 

 本書で紹介されているLivingstonの説では、二つのカモフラージュがあるという。

 一つがマスキング。もう一つが補償。 

 前者が、周囲の言われた通りにして、本来の自分の特性を我慢すること。

 後者が、本来ならしないような新しいことをして、その場をやり過ごすこと。

 時にそれは奇異な行動なことがある。(p44-45)

 

 本書で紹介されていたのが、いじめられた時にどう相手に反論すればいいかかわからず、シェイクスピアの一節を暗記してそれを話した女性の例。(p25)

 面白がられて、却っていじめがひどくなったことだろう。

 

 

 ただこの説は、前者は主に内面のことで、後者は行動のことである。

 同じことを別の側面で言い換えているだけで、分類する意味がないように思えてしまう。

 私なりの勝手な補完。

 マスキングは、周りがやっている行動をそのまま真似する。そして、そのことが苦痛(我慢している自覚があるどうかと別だと思う。私の経験の範囲では、周りに合わせるのは”辛い”とはおっしゃるが”我慢している”かと尋ねると首をかしげる方が多いからだ)

 補償は、周囲の環境ではない別のところから、自分なりの工夫を見つけ出して行動する(そしてしばしば状況にそぐわない)。そのことが苦痛かどうかは問わない(?)。

  

 

 

 思い当たることが多くあり、勉強になった。

 

 

 

サラ・バーギエラ著、ソフィー・スタンディング絵

田宮裕子、田宮聡訳「カモフラージュ 自閉症女性の知られざる世界」 明石書店、2023

 

Bargiela S: Camouflage The hidden Lives of Autistis Women. Jessica Kingsley, London, 2019