メモ。

 

 

 病い関連メモ

 

 研究年報:「明治27年から28年にかけて、神経衰弱の症状著しい。幻想や妄想に襲われる」(p40 このころ就職活動が難航していた)

 

 下宿先に閉じこもっての猛勉強ぶりが「漱石狂セリ」の噂になったのではないか(p97)

 

 留学中、心理学や進化学などの本も読みふけり、焦点を絞り切れず焦っていた(p115)

 

 1902年の鏡子への手紙

 「近頃は神経衰弱にて気分勝れず甚だ困り居候然し大したる事は無之候」

 「近来何となく気分鬱陶敷書見も碌々出来ず心外に候」(p116)

 

 文部省への報告書が真っ白だった。

 本人は「一生懸命勉強しても研究はまだ目鼻がつかないから」と考えていた(p117)

 

 下宿のリール夫人:「毎日毎日幾日でも部屋に閉じこもつたなりで、まつ暗の中で、悲観して泣いてゐるという始末。(略)てつきり発狂したものに違ひない」(p117「漱石の思ひ出」より)

 

 漱石は自分が妄想を抱きやすい性格だと自覚していた(p118)

 

 明治36年夏から37年まで被害妄想が悪化

 「無暗と癇癪を起す」

 学生の部屋に向かって「おい、探偵君。今日は何時に学校に行くかね」と叫ぶ

 不眠

 「予の周囲のものは悉く皆狂人なり。それが為め、予も狂人の真似をせざるべからず。故に周囲の狂人の全快を待つて、予も佯狂をやめるもおそからず」と書いた紙があった(p129)

 

 同時期、友人に「僕ハ切角調べカケタコトヲ丸デ忘レテ仕舞ツタ愚カナンダ」と手紙に書き送った(p130)

 

 明治42年ごろ(「夢十夜」前後)、殺人、自殺、心中に関する新聞記事を手帖にはっていた(p206)

 

 大正元年に「私は孤独に安んじたい。然し一人でも味方のある方がまだ愉快です。人間がまだ夫程純古たる藝術気質になれないからでせう」と友人に書き送った

 翌年、「女中が変だ」「そんなことを言わないでくれ」と唐突に言うようになる。

 しかし、執筆(「行人」)は続けていた(p288-289 このころに「銀の匙」が掲載)

 

 

 

 

 個性、病い回復関連メモ

 

 発狂したとされる年の秋に、漱石の友人がロンドンに訪れているが、博物館見学を一緒にし、ビフテキを食べてビールを楽しむなど、普段と変わらなかった(p117-118)。 

 

 帰国の年の4月に帝大講師となった際の様子。

 「きびきびとして而し瀟洒な洋服姿に蝙蝠傘を持つて来られた」(p124 当時の学生の記録)

 

 鏡子によれば「頭が悪くなる」と「幾日も幾日も」「絵を描いた」(p129)

 

 「吾輩は猫である」を執筆のことから軽快(p134)

 書き始めると、連載分を「一晩か二晩で」書いてしまうことがあった(p139)

 

 ある作家の漱石評:「少し陰気にして、真面目にして(略)道楽もせず、旅行せしことも少なく」(p150)

 

 弟子宛ての手紙に自らをゲーテやシェイクスピアになぞらえるユーモラスな手紙を残している(p171)

 

 鏡花の思い出(大正6年発表)

 「てきぱきしたもので(略)つくろひも、かけひきも、何も要らなくなる(略)漱石さんのあの意気ぢや、(略)体裁も、つくろひも、其かけひきも人にさせやしますまい。(略)親しみのうちに、おのづから、品があって、遠慮はないまでも、礼は失はせない。(略)涼しい、潔い方でした」(p224)

 

 弟子に怒りを爆発させたと思うと、その人物が結婚する際には気に掛けていた

 一部から「大人(たいじん)」と慕われた所以(p253)

 

 鏡子が大患後なので動きすぎないように書き送ると、その返事に、医師に動く許可を言わせた様を、ユーモアを交えて書いている(p257)

 

 大患の後は「おだやかになりました」(鏡子夫人)(p259)

 

 漱石と弟子たちの間にあるのは「人情」「義理」「利害」「便宜」で、漱石が彼らに仕事をまかせると、甘えが働き物事が進まなかった(p271)

 

 師弟愛を超えた知的で友愛の空間だったが、「青春特有の生臭さ」「生理的な雰囲気」があった(p293 和辻哲郎のややホモソ―シャルな手紙と、漱石の距離を置いた反応)

 

 「先生は誇張して褒めない代わりに、注目すると熱心に見て呉れる。一寸褒めてすぐ忘れるといふことがない」(p297)

 

 新たな可能性に進もうとする青年への共感

 無名だった岩波書店から自著を出版するこを許可しただけでなく、細かな助言まですすんで行った(p304-305)

 

 「こころの」の装丁は全て自分で行った(p306 他の自著の装丁もかなり関わっていた)

 

 芥川「何だか夏目さんにヒプノタイズされたやうな」「物騒な気がし出したから、(略)行くのを見合わせた」「人格的なマグネティズムとでもいう(ものがあり 略)危険性があるものが、あの人の身体からは何時でも放射してゐる」「影響の捕虜になつて、自分自身の仕事にとりかかるだけの精神的自由を失つてしまふだらう」(p326)

 

 

 本書を通じて:

 若い人の世話をすることを惜しまない

 金銭感覚がしっかりしており、日記に家計簿のように数字を書いたり、給料を気にしていた

 

 

 <感想>

 本書を読んで、漱石について一般的に指摘されているある疾患に、彼が罹患していたとは私には思えなかったが、どうなのだろうか。

 

 

 

 

長谷川郁夫「編集者 漱石」 新潮社、東京、2018