いい年して、特撮モノのリブート映画についてあれこれ書くのもアレなのですが、鑑賞直後に思ったことを。

 

 

 私には「シンジ」に見えた本郷が、私には「綾波」に見えたルリ子に、「僕はヒーローとして戦うことを決めた」「そういうことにしたのね」と言葉を交わしたシーンでふと考えたことです。

 

 

 世代論は乱暴ですが、石ノ森章太郎先生は1938年生まれで戦中派。

 終戦時は7歳ですから、戦争のことを薄っすらと記憶しているはず。

 ウルトラセブン脚本の金城さんも1938年生まれ。

 ウルトラマンの監督もしていた実相寺さんも1937年生まれ。

 ちなみに石原慎太郎さんは、彼らの7歳くらい上。

 (ヴントで頑張った西部進先生は1939年生まれなので、世代だけで括れないのは承知の上)

 

 私は団塊ジュニア(1970年前後生まれ)。

 庵野監督は1960年生まれ。

 

 その間に、いわゆる団塊世代(戦後生まれ)がいらっしゃる。

 60-70年代の安保闘争や学生運動激化の際、20歳前後だった。

 

 

 私たち団塊ジュニア世代は、ちょうど幼い頃にウルトラマンやら仮面ライダーやらを観ていた。

 私は再放送世代で、うっすら記憶している本放送はタロウとアマゾン。でも小学生低学年の時に「スター・ウォーズ」上映、中学年で「ガンダム」放映だったので、特撮モノは見なくなってましたけど。

 

 

 今回の映画のあのシーンで、ヒーローものって何を伝えたかったんだろうと、どうでもいいといえばどうでもいいのですが、考えてしまいました。

 

 あの台詞で思ったのは、「暴力に対抗するには、残念なことに暴力しかないことがある。そのことを受け入れ、決断しなければならないことがある」、そしてそれは、「とても痛みを伴う決断で、失うものもたくさんある」

 

 漫画の仮面ライダー1号は脳みそだけになるし、ウルトラマンも死んでしまった。

 しかし、対話や交渉では、どうにもならない相手がこの世にはいる。

 

 こういうことを書くと暴力を肯定していると批判されそうなのですが、繰り返しますが、暴力を肯定しているわけでは全くありません。

 昨今の”炎上”過程を拝見していると、行間をご理解いただけないことがあるようなので、当前(過ぎる)ことですが執拗に書きます。

 

 

 あの頃のヒーローものは、「どうにもならないことが世の中にはある」こと、そして初期に割と多い、大切な人を救いきれなかったり、自身が死んでしまうエピソードを通して「そうやってやむを得ず選択した<戦う>ことは(ヒーロー=英雄ものなのに逆説的なことに)決して英雄的なことではない」、だから「そうならないで済む世の中を、死ぬほど頭を振り絞って考えろ」と、戦中派の方々が、一世代飛ばして、私たちに教えてくれていたのかなと妄想した次第。

 

 

 おそらくご本人はあまり意識せず、マニアックに細部を再創造することで、結果として初期ヒーローもののメッセージを再構成している庵野監督の一連の映画から、若い方々は何を感じてくれるのだろうと、ちょっと思ったりします(期待も込めて。ただYoutubeの感想動画を拝見する限り、今のところ少しがっかりしています)

 

 

 行間を読むのが苦手なうちのこども3でさえ、仮面ライダー”柄本佑”2号が抱えていた苦しみは何だったんだろうと、鑑賞してもう1週間たっても私に尋ねてくることがあるくらいですから。

 何かは伝わっているようです。

 

 

 

庵野秀明監督「シン・仮面ライダー」  2023年3月 公開