読み終わるのにとても時間がかかった。
わずか200頁の中編なのに。
物語は、
大正十二年は、九月一日に、関東地方に、稀な大地震のあった年である。
という一文から始まる。
三重次は、
小柄で、丸顔の方で(略)二十歳ぐらいであったが、どちらかというと愛くるしい顔だち(p9-10)
で、何を着ても似合い、年齢より若くみえる女性(p76、98、140)。
主人公の牧にとっては”押しかけ女房”(p24、43-)。
しっかりもので、今後のことを考えて「檀那」との仲を自分でけりをつけ(p53)、夢だった持ち家を買うことになった時は、独学の間取りの知識で、自ら図面を引いて牧を感嘆させる(p56-57)。
夜遅くまで家計簿を丁寧につけ、メモ帳を肌身離さず持ち、初めて知った言葉を書き記している(p59-61)。
商売を始めると、独特の工夫でたちまち繁盛させる(p188-194)。
無学かもしれない。
しかし、常に向上心を持ち、賢く、生活をきちんと管理している。
読んでいて、私も惚れてしまった。
「(略)あたし、『几帳面』が好きなのです(略)あたしは、どんなものでも、『贋物』は大きらいです」(p61)
二人だけで一週間旅行をすることになるが
二人は、その間に、一度もいわゆる『夫婦』のようなまじわりをむすばなかった。(p37)
三重次には不可解だったようで
「(略)もう、かれこれ、一年ちかくになります。(略)あなたは、わたしを、お試しになっているのですか(略)」(p43 半年後に同じことを三重次に言わせている p90)
その後も二人だけの旅行の出来事が淡々と記される。
それも断片的で、1-2年もとぶことがある。
三重次はともかく、牧の内面は全くといっていいほど描写されない。
ただ、旅行中に「ちょっと孤独なような感じ」を、牧は抱くようになる(p77)。
そして、理由も心情も書かれていないが、牧は妻に三重次の存在を伝える(p109-111)。
徐々に牧の気持ちは乱れ始め、入院することなる(p114-117)。
この辺りから、本作は死の匂いが濃厚になる。
大正天皇の死、友人有川の自殺(明らかにモデルは芥川。この時の彼の描写は凄まじい p131)。
三重次の祖母の死(p183)、牧の友人、母の死(p200、201)。
満州事変と太平洋戦争(p202)。
数年間の出来事が、僅か20頁で描かれる(さらに牧の妻も死ぬ p212)。
三重次の”あやまち”で(p138)、交流は一時途絶える(p153)。
しかし、復縁すると(p160)、二人は手紙やノートを交換するようになる。
終戦後、昭和21年8月7日の三重次からの手紙で、本作は幕を閉じる。
約25年間の物語。
内面描写がないだけに、切ないまでに牧を想う三重次の気持ち、身勝手さを感じさせる牧の優柔不断さが、こちらに投げ込まれる感じになるのか、読んでいるうちに、二人の人生をそのまま背負いこまされた状態のようになっていたのかもしれない。
そのためにしんどくなって読書がしばしばとまり、読み終わるのに4か月近くもかかったのだろう。
書いていて気づいたのが、二人の交流の質の変化。
前半は共に行動するだけ。思い出つくりにしかなっていない。
後半は書くことや読むことを通じて、やっと自分たちの気持ちを互いに表現し理解することに移行している。
(ところで本作の扉に宇野は「おもひ川ながるる水のあわさへも うたかたびとにあはできえめや」を引用している。調べると「めや」は「いや・・ではない」の意味。つまり、泡沫の泡、流れる川のような「思い」ではな「ない」と言っている。こういう気持ちを、三重次に伝えない/伝えられないことは、時代的制約なのか宇野の個性なのか私にはわからない)
この作品は、感情とその表現のバランスが絶妙だと思う。
一例をあげれば、登場人物に言い淀みがとても多い。
「昨夜、どうしていらっしゃっらなかったの。・・・・・そう、あのオ、ちょっと困った事が、おこったの・・・・・ですけれど、そんなに困ったことでもないんです。・・・・・でも、それで、『千万』のかあさんで、これから、先生のところへ、いらっしゃりたいって。・・・・・・え、あたし、ちょっと、行けないの。・・・・・ね、ちょっとした事なんですから、かあさんがいらっしゃるのを、待ってあげてくださいね。・・・・・ええ、今、すぐ・・・・・」
この言い淀み(・・・・・)の中にどれだけの感情が込められているか。
「困った」「そんなに困ってない」と矛盾したことをおそらくたどたどしく話し、「あのオ」「え」「ね」と無意味な間投詞がやたらと入る三重次のこの台詞。
彼女の細やかな気遣いや、関係が壊れることへの不安が、直接こちらに伝わってくる。
一文一文の重たさが、今まで読んだ作品と違う。
本当に名作だと思う。
宇野浩二「思い川 枯木のある風景 蔵の中」 講談社文芸文庫、東京、1996