ギリシャ、中国文学をご専門とする先生による、愛情溢れる「私の式子内親王」本(piv)。
同好の士を見つけたような思いで読み終わった。
きっかけが朔太郎で、朔太郎のように自分流に味わいたいというところまで同じなので、とても共感(p43-48、69,77、110など)。
様々な専門家のご意見も紹介して、本来どのように詠むべきかをお書きになっているが、ご自身の見解もお書きになっている。
そればかりか、
専門家の陥りやすい陥穽は、(略)これこれの先行する作品から想を得ているということを指摘し、それで当の作品がわかったと思い込むことである。 p79
とあるイタリア人古典学者の発言を引き、ご自身の詠みを大事にしたいともお書きになってもいて、それも共感。
詩歌を愉しみたいのであって、お勉強したいわけではない。
沓掛先生が、内親王に強烈な孤独感や内省性(第三章)を見て取られ、そこに大きな魅力を感じているという点も共感。
なるほどと思ったのが、「ほのか」という言葉を視覚以外に使ったのは内親王くらいではないかというご指摘(第四章)。
また、もっぱら恋歌に使われていた「ほのか」を、季節感の表現に転用したのも内親王の独創では(p100)とも述べていらっしゃる。
「ほのか」といえばこの歌。
ほととぎす その神山の旅枕 ほの語らひし 空ぞ忘れぬ
うろ覚えだが、朔太郎はこの歌を、内親王が斎院だった若い頃の清々しい朝の記憶を詠ったと論じていたと思う。
その際、朔太郎は<旅枕>から<枕>を外して違う語に置き換えるべき(!)と主張していた。
朔太郎がなぜそのような主張をするのか、その時は分からなかったのだが、別の本でこの歌の意を知って、なるほどと思った。
正統な解釈は、かつて親王に思い人がいて、彼と語りあったことを思い出しているというものらしい。
<枕>が入ると、確かに”一夜”のことを表すし、そうなると<空>は青空でなく朝焼けの空になる。
朔太郎は恋歌として詠みたくなかったのだろう。
”俺の内親王”イメージにあわないという気持ちだったのだと思う。
朔太郎の気持ち、よく分かる。
ほかにも「うたたね」という語を愛用していたのは内親王だけではないかというご指摘(第五章)。
第六から七章は、夢や忍ぶ恋の歌詠み人としての内親王を論じている。
”忍ぶ恋”だと演歌っぽくて抵抗があるのだが、恋情を「自制している」(p169)と言われれば、そう、そこがいいんですよね!と膝をうつ。
この点は、内親王が実際の経験を詠んだのか、実はそのような経験はほとんどないのか、二つ説あるという(p171-176)。
沓掛先生は、受け取り方の問題だからどちらでもよく、むしろ、内親王の強い自己閉鎖性に惹かれると述べておられる(p177)。
まったく同意。
百人一首で出てくる有名な
玉の緒よ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわまりもぞする
恋心を隠す力が弱まって気持ちを漏らしてしまうぐらいなら死んだほうがいいというという意だが、この歌の良さは、恋情の激しさでなく、恋情を内面に留め置こうとする厳しさが魅力だと沓掛先生はおっしゃる(p179)。
まったく同意その2。
私は以下の3つが好き。
わすれては うちなげかるる 夕べかな われのみ知りて すぐる月日を
日に千(ち)どは こころを谷になげ果てて ありぬもあらず すぐるわが身は
暁の ゆうつけ鳥のあわれなる 長き眠(ねぶ)りを 思ふ枕に
<わすれては>には、同種の歌で
わすれては またなげかかる 夕べかな ききしもあらぬ 入あひのかね (後光厳天皇)
というのがあるという。
<入りあひの鐘(夕暮れになる鐘のことだそうです)>だと、内面から外の世界に目を転じてしまい、かつ<忘れた>と<夕ぐれの儚さ>を重ねた技巧が肝なのかなと思う。
私は、あくまで内面から離れない内親王の歌の方が素晴らしいと思う。
ところで朔太郎は、<忘れては>に「自分を愚かに思ふ理智的の反省」を感じるとべた褒め(p187)。
第八から九章は内親王から離れるのだが、面白い指摘があった。
日本文学が叙事詩を発明しえなかったこと。
やまと言葉は体験密着性が強く、心情を上手く表現できるが論理性に欠けること。
明治期の「アララギ」派と「明星」派の対立は、万葉派と新古今派の対立だったこと。
今では専門家しか読めない古英語や古フランス語など、欧州言語の変化の大きさに比べ、日本の和歌の言葉遣いが等質であり続けていること。
和歌の完成度の高さは、近代を除くと、ヨーロッパではヘレニズム詩くらいではないか、などなど。
メンタル問題の専門家は、うまくやまと言葉を遣うことができなければいけないなと思う。
本書で、式子内親王が好きな理由を改めてはっきりと理解できた。
というか、小野小町や和泉式部みたいな”リア充”は嫌いなのだなと・・・
沓掛良彦「式子内親王 清冽・ほのかな美の世界」 ミネルヴァ書房、東京、2011