少しずつ味読して、やっと読了。
理屈の人、朔太郎の真骨頂。
質実剛健で雄大、素朴で激しい感情を歌った万葉集を朔太郎は評価する(p32-33、50、56-57、176-180)。
久方の天つみ空に照れる日の失せなむ日こそわが恋ひ止まめ (p31)
敷島の日本(やまと)の国に人二人ありしと思はば何か嘆かむ (p33)
天の太陽がなくなったら私の恋は終わるのだ。
この世にはあなたと私さえいればいいのだ。
壮大でストレートな歌が多い。
ところが古今集から、形式的で技巧を凝らし(p63、73、74、85)、理に走った歌が多くなった(p79、184、200-204)。
その責任は「詩人ではなく詩学者」紀貫之が編者だったから(p81)。
朔太郎にかかれば、小野小町は理屈だけで愛を知らない歌人だし(p92)、在原業平は趣がない乱暴な男扱いである(p70)。
古今集で朔太郎が評価するのは、以下のような歌。
大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ (p71)
ゆふぐれは雲の旗手に物ぞ思ふ天つ空なる人を恋ふとて (p85)
優美さよりも、雄大さが重視される。
新古今集になると、より技術的で数学的規則性をもち、心情に欠く歌が多くなる(p138-139、163、204)。
朔太郎によれば、その責は、やはり編者の藤原定家(p139)。
歌人としての評価は紀貫之と同じ。
朔太郎が「魂のない人工細工」とこき下ろすのが定家の有名な句。
春の夜の夢の浮橋と絶えして峯にわかるる横雲の空 (p138)
この句の情景は架空のもので、架空の風景に情緒を重ねても、歌人の真の心情を感じることはできないだろう。
確かにこの句を読んでも何も響いてこない気がする。
もっとも私が朔太郎びいきだからかもしれない。
一方、和泉式部や式子内親王を激しい恋情の人として、朔太郎は高く評価している(p108-124、144-150)。
忘れじの行末までは難ければ今日を限りの命ともがな (p130)
玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする (p145)
愛を味わえる今この瞬間に命尽き果ててもいい。
愛に苦しむくらいならば死んでしまったほうがいい。
与謝野晶子どころではない。
また、情景をシンプルに歌いながら孤独感を込めているとして、朔太郎は西行を哲学的歌人と評している(p125、148-153)。
同じ趣向なら、私は後鳥羽上皇のこちらが好き。
思ひつつ経にける年の甲斐なきやただあらましの夕暮れの空 (p161)
とはいえ、朔太郎は新古今集に否定的ではない。
なぜなら、技巧が極地に至り、韻律の美しさや厭世的耽美があるからだという(p214-217)。
そしてその背景に、貴族の没落と武家の台頭があると述べている(p219)。
ところで朔太郎らしいのが和歌の構造分析。
彼によれば、美しい和歌は、第一句と第四句の冒頭音を対比させ、第一句から三句まで音を重ねて第四句で勢いを落とすのだという(p95、101、108、111、134、158、162)。
たとえば以下。ひらがな表記にする。
あさぢうの//をののしのはら//しのぶれど//あまりてなどか//ひとのこひしき
文学的に正しいのか分からないが、こういう理屈っぽさが朔太郎らしい(解説によるとやはり異論があるらしい)。
高校時代、百人一首を暗記させられたりしたのだが、和歌がこんなに艶っぽいとは思っていなかった。
もちろん教科書に解釈は載っていたので”意味”は分かっていた。
朝寝髪われはけづらじ美しき君が手枕(たまくら)触れてしものを (p26)
長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ (p115)
枕だに知らねば言わじ見しままに君語るなよ春の夜の夢 (p155)
久しぶりに読んで、一夜を過ごした後の気怠さを、ここまで生々しく詠んでいるとは思わなかった。
よくもまあ、こんな内容の歌を高校生に教えていたものだ。
私が好きな歌は古今集から。
春霞たなびく山の桜ばな見れども飽かぬ君にもあるかな (p78)
いつまでも見飽きない、山桜のような「あなた」とは、どんな容姿なのだろう。
萩原朔太郎:恋愛名歌集 岩波文庫、東京、2022