初詣に出かける電車の往復で読んだ本。

 

 

 「時間と自由」要約

 心は質的で、多様性・多様体muliplicite。

 多様性が時間発展する(有機的organiqueに組織化するstructuralisant)

 選択できる→だから自由、ではない。

 

 藤田先生のご発言

 功利性(原語不明)と効力/実効性efficaceの違いを知っておくとよい。

 効力:時間のもつ「強いる」「どうしようもなさ」。時間の核心(p48-50)

 

 持続のモデルにメロディーをもってくるのは不足。より振動させる調子tons bien plus vibrants(ミンコフスキー)(p57)

 

 リズムは量ではなく量が呈する質によって作用するとベルクソンは指摘している。(p59)

 リズムと拍の違い、身体性をベルクソンは強調した。(p62-63)

 

 

 「物質と記憶」要約

 表象や実在の議論を棚上げして、イマージュから考える。

 過去成分が「心」。

 

 檜垣先生のご発言

 記憶と過去は脳に含まれておらず、脳はそれを実現化するとベルクソンは論じた。(p94)

 過去はそのまま実在する。(!? p94)

 

 平井先生のご発言

 時間は相互作用すると、ベルクソンは考えた。

 経験している時間は、外からの作用に対する反応で生まれるタイムラグだとベルクソンは考えていた。(? p103)

 時間が「流れる」のは現在だけで、過去と未来は流れていない。

 ただしベルクソンは相互浸透(影響)すると述べている。(未来⇔現在、過去⇔現在 p106-107)

 

 ベルクソンは過去の痕跡説を退けた。

 過去は<現在>の脳神経の働きで想起されるので、+αがなければ<過去>と認識されない。+α=過去性を説明する必要がある。

 ベルクソンはそれを「色合い」「ニュアンス」と表現した。(p107-111)

 

 純粋記憶:思い出す前の記憶。

 記憶イメージ:イメージとして取り出した記憶。

 思い出せないのに違いが分かるために区別した。(例:「あの俳優さんの名前」「X?」「違う。でも思い出せない」p112)

 

 デカルトのように定義から始めると行き詰まる。ベルクソンは、本質は後で、まず関係を探るという考え方だった。(p115)

 

 

 「創造的進化」

 精神から身体への働きかけをelan vitaleで論じた。

 

 米田先生のご発言

 組織されている物体corps organiseと組織されていない物体corps inorganise

 組織されている:異質なもので構成され相互に関連している、分割すると機能しないもの、たとえば細胞。

 組織されていない:等質なものが規則的に配列されている、分割しても同じもの、たとえば結晶。(p131)

 

 覚醒とまどろみ

 ベルクソンは物質を動性・不動性で定義しないことを提唱した。

 普通、植物は動かない(まどろんでいる)が、食虫植物のように動く(覚醒している!)ものもある。

 覚醒とまどろみの揺れ動きで物質を考える。(!p137-138)

 

 生の躍動:自己解体しながら創造する動作というイメージ、とベルクソンは記している。(p148)

 壊しつつ創り出すものでは?(p150)

 

 ベルクソンは進化で偶然性を強調しているが、2つだけ必然性を語っている。

 1)エネルギーを徐々に蓄積する

 2)エネルギーを伸縮自在な水路に入れて変化する不定な諸方向に流す(生命の動きは彷徨である p152) 

 「行動の可能性は行動に先立って描き出されていなければならない」( 2)と関係。藤田先生が下図のイメージと提示)

 上図は直線的な流れ。下図は未来に「身を乗り出す」ように流れる。(p154より転載)

 

 自己組織化で秩序づけるもの:ドゥルーズが「コード」といったもの。ベルクソンなら「習慣」(p169)

 

 オートポイエーシスは(まだ)どこか閉鎖的? ベルクソンは進化のdesequilibreな点を強調しているのでは。(p170-171)

 

 

 「道徳と宗教の二源泉」

 人間を動かすものとして、道徳と宗教を論じる。

 

 平賀先生のご発言

 暗夜nuit obscure:神秘体験。悟性の外。(神との)合一体験。(聖ヨハネの言葉 p185-186 ミンコフスキーのキーワード! ベルクソンは機械を持ち出して説明しているという!?)

 暗夜で単純性simpliciteが獲得されるとベルクソンはいっている。(p187)

 

 アンリ・ドラクロワによる神秘体験の4段階説。(p185)

 

 閉じた世界と開かれた世界

 開かれた社会を成立させることが神秘家の役割とベルクソンは考えていたらしい。(p190)

 神秘家の経験の確実性を担保するのが「事実の複数線」(”様々な角度からの検証”)(p190-191) 

 ベルクソンは閉じた社会を拡大すれば開かれたものになるとは言っていない。質が違う。

 閉じた社会に創話機能/仮構機能fonction fabulatrice, fabulationがある。(p208)

 

 情動が言葉の先にある。

 なので、(言葉で)表現不可能なものも(情動で)表現できる。(p191)

 

 人を動かすのは、pression抑制する力と、aspiration憧れ/何かを引き出す力だとベルクソンは述べているらしい。(p211)

 

 

 藤田先生のご発言

 ベルクソン的存在は自身から脱出するEk-sistenzでなく、響き合いの中で生成変化する響在echoh-sistenceではないか。(p196)

 

 ベルクソンの相対的正義は「衡量しmesure比率を定める」が、絶対的正義は「共通尺度measure」でない。「適当な中庸juste measure」ではなく「度measureを越える」。(p201)

 

 機械(技術)により身体も「法外にdemeasurement肥大化」している。(p201-202)

 

 ベルクソンが心は計測できないと主張したとするのは単純化ではないか。また法外さから行動を開始するという考えも荒すぎる理解ではないか。

 むしろ、現在は心の測り方も、行動への傾向性も、繊細さが足りないと考えた方がいいのではないか。

 繊細な方向性とは、神秘家のありかたで、人格性や憧れで行動を発生させることではないか。(p205-206)

 (defier le calculは「計算できない」でなく、「計算に挑戦する」とも訳せるのだという)

 

 体系化はたやすいが、現実とのたえざる接触で演繹を屈曲させねばらないところがあるとベルクソンは言っている。(p203)

 

 

 

<読後感想>

 ベルクソンの主要著作を要約した後、各論者が自著のご説明をなさりつつ、現在、ベルクソンを研究する意義を語るという構成。なので、ベルクソンの議論と各先生方のご意見を区別して読む必要がある。

 第一章:檜垣先生と藤田先生、第二章:檜垣先生と平井先生、第三章:米田先生と藤田先生、第四章:平賀先生と藤田先生という組みあわせ。

 個人的に、第二章の平井先生の時間の階層、第三章の米田先生のオルタナティブ・バイオケミストリーのお話が刺激的だった。 

 ベルクソンをしっかり勉強したければ、本書→ベルクソン→各論者のご著書→本書→ベルクソンという順に読むとよさそう。

 私は本書→ベルクソン(→本書)にして、あとは自分で考えたい。

 しかし、ベルクソンの主張はよくわからない・・・・。過去は実在するって、どこにあるのだろう?

 

 内容とリーダビリティーを考えると、大変にお得な本。

 

 

 

檜垣立哉、平井靖史、平賀裕貴、藤田尚志、米田翼「ベルクソン思想の現在」 書肆侃々房、福岡、2022