昨年、衝動買いして、そのままになっていた積読本。
6人の先生方と鹿島先生の対談本。
東浩之
「存在論的、郵便的」:存在論的は語りえないものに向かって思考すること、郵便的は深く思考して答えが出なくなる手前で思考すること。(p21-22)
ルソーの一般意志は熟議で到達するものではない。無意識。「一般意志が死ねというときには、もう死にたいはずだ」(p45-46)
ブレディみかこ (多様性の時代の利他と利己 「他人の靴を履く」ために p52-91)
文化人類学者デビッド・グレーバーの議論:キリスト教の出現と経済発展で、利他と利己は分離されたが、そもそも両者は混じりあって曖昧だった。(p63-64)
guildは「人に悪いことをした」とunappyな感情を抱くことで、利他と利己がつながっている。日本人の「人に迷惑をかけた」(英語ならbother)は(他者に)閉じているのではないか。「迷惑をかけるな」は「関わりたくない」(p77-79 罪責感を考えるうえでヒントになりそう)
(鹿島先生)賛成と反対の立場で議論する訓練は、アリストテレスの影響を受けたスコラ哲学の伝統。エンパシー教育の一つ。(p58-59)
千葉雅也
根拠、原理に向かうのがアイロニー。一つのテーマを別のものに変奏するのがユーモア。法の根拠を問う思考と、法の適用範囲を問う思考。もちろん「ザッヘル=マゾッホ紹介」が元ネタ。(p97-98)
(鹿島先生)シーニュ:いきなり侵入して体系を破壊するもの。(p110)
石井洋二郎
ディスタンクシオンdistinction:優越した違い、「卓越化」。(p136)
文化資本
身体化された文化資本:知識など、獲得して身体にたくわえたもの
客体化された文化資本:物質的にあるもの(絵画や蔵書、家具など)
制度化された文化資本:資格や学歴など (p140)
Legitimite(eはアクサン)レジティミテ:社会的に優越性が承認されているもの、「正統性」(直訳は合法性 ex. ヨハン・シュトラウス<バッハのような感じ)(p153)
Champ場:ある規則があり、構造は固定されず、常に新たに相互の位置関係が生成されていくもの。戦場(champ de bataille)のイメージ。(よくある訳”界”だと世界mondeを想起してしまう p155-157)
habitus:habitude習慣のような固定されたものではない。構造化された構造、かつ、構造化する構造。構造化する構造は、pratique実践を生む。(スポーツの練習=構造化された構造と、臨機応変に動く試合=構造化する構造 p158-159)
贅沢趣味(自由趣味):選択する趣味
必然趣味:庶民のもの。選択肢が限られていて、選ぶというより選ばされているのに、自分の意志で選んだと思い込んでいる趣味(p164-165)
bonne volonne(最後のeにアクサン)善意(直訳は意欲、やる気):中間階級のもつ、ひたむきで、けなげな、学歴をつけよう/良い趣味を身に着けようとする意志。野心とは異なる。(p166-167)
(以下鹿島先生)
distincitonには「品位がある」という意味もある。(p138)
プルーストもバルザックもdistinctionを小説で描いたといえる。(p133-134)
bon gout, bon ton,bon genreはいずれも「良い趣味」だが、相手より優れているというニュアンスがある。(p137)
文化資本は「avoirはetreである」(p144)
habitusは固定的ではない。しかもhabitusを意識化しないと抜け出せないが、意識化することが必要とブルデューは繰り返し主張していた。(p177)
宇野重規
プラグマティズム:何が正しいかは分からないので、暫定的に理念をたて、それを信じ、結果をみながら、立ち止まることなく、少しずつ修正を繰り返す思想。超越を信じる宗教性が根底にある。超越と関わりながら模索して得た結果には意味があるという感覚がある。パースもジェームスも、カンティアンやヘーゲリアンだった。南北戦争後、懐疑主義に陥った彼らは、ニヒリズムや相対主義に陥らずにこの思想を作り上げた。(よくある誤解、結果が正しければよい、ではない。理念があること、正しい結果でも理念が正しいとは考えないこと、動き続けることはとても重要だと思う。 p200-202)
ドミニク・チェン
ベイトソンのコミュニケーション:差異を生む差異(p231)
<読後印象>
それぞれの論者の方々の時に生硬な議論を、鹿島先生が具体的な事柄に落とし込んでくださるので、読みやすい対談集だった。その出来事がまた面白く、特に時々出てくる蓮実重彦先生のエピソードは秀逸。ブルデューはやはり読まなければいけない気がする。
鹿島茂「多様性を生きるための哲学」祥伝社、東京、2022