「懶惰の歌留多」を読みたくて本屋で見つけたアンソロジー。

 太宰治は教科書で読んだ「走れメロス」以外、恥ずかしながら読んだことがなかった。

 

 期待していた「懶惰の歌留多」は想像していた作風ではなかった。

 この作品集の中では「母」が一番素晴らしいと思った。

 

 掲載作品と、お選びになった作家さんは、以下。

 発表年が不明だったので調べて追記。

 「女生徒」1939年    江國香織

 「恥」1942年      角田光代

 「母」1947年      川上弘美

 「古典風」1940年    川上未映子

 「思い出」1933年    桐野夏生

 「秋風記」1939年    松浦理英子

 「懶惰の歌留多」1939年 山田詠美

 

 「思い出」以外は、太宰治が名作を出していた充実した時期の作品らしい。

 「母」は、戦後、最晩年の作品。

 選者の作家さんたちの作品は未読なので私にはわからないのだが、お好きな方なら「この作品を選ぶのか」という別の面白さがあると思う。

 各作品の前に、原稿用紙1枚程度の紹介理由が書かれていて、それもまた興味深かった。

 

 読んでみると、想像通り、恥ずかしさで身もだえしてしまう箇所が多数あった。 

ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。(略)これまでの私の自己批判なんて、まるで意味ないものだったと思う。批判をしてみて、厭な、弱いところに気附くと、すぐにそれに甘くおぼれて、いたわって、角をためて牛を殺すのはよくない、などと結論するのだから、批判も何もあったものではない。(女生徒)

私は、うちの門口から白い寝巻の女の子が私の方を見ているのを、ちゃんと知っていながら、横顔だけをそっちにむけてじっと火事を眺めた。焔の赤い光を浴びた私の横顔は、きっときらきら美しく見えるだろうと思っていたのである。(思い出)

うしろで誰か見ているような気がして、私はいつでも何かの態度をつくっていたのである。私のいちいちの細かい仕草にも、彼は当惑して掌を眺めた、彼は耳の裏を掻きながら呟いた、などと傍から傍から説明をつけていた(略) (思い出)

「自分は、ポオズをつくりすぎて、ポオズに引きずられている嘘つきの化けものだ」なんて言って、これがまた、一つのポオズなのだから、動きがとれない。(女生徒)

恥ずかしい思い出に襲われるときにはそれを振り払うために、ひとりして、さて、と呟く癖が私にはあった。(思い出)

 

 思春期から青年期前半の自己愛に多い、自己批判という形をとりながら、このように悩んでいる自分は人と違うと思い込み、視線を自分からいつまでも外さないこと。

 他人の視線に対する過剰な意識。

 他人の内面など正確にわかりようもないのに、「このように思ったに違いない。恥ずかしい」と一人合点気味に考え、しつこく思い出すこと。

 

 角田さんがお書きになっている太宰作品の魅力、読み手が「私のことが書かれている」と思い込める「奇妙な距離」(p62)は、私には苦しい。

 そういう人もいると思う。

 

 ただ「女生徒」だけは、自意識過剰さがあっても、家族に対する愛情と信頼や、将来への期待があり、健全な自己愛という趣で、これは心地よかった。

 それから永井荷風について、「道徳にとてもこだわっている(略)愛情の深すぎる人にありがちな偽悪趣味(原文ママ)」と主人公に言わせているが、太宰自身もそのように自分をみていた部分があったのではないかと思うのだが、どうなのだろう。

 

 「秋風記」も、「苦しむことは自由だ」と嘯く主人公に対して「私(は)、自由じゃない」と答えるKが、「あとの責任が、こわいの?」「あなたのまじめな苦しさを、そんなに皆に見せびらかしたいの?」と主人公に指摘したり、全体にゆったりとした雰囲気のおかげで、読んでいてしんどくなる自己憐憫をあまり感じない。

 

 

 「母」は切ない話なのだが、ユーモラスな文体で中和されて複雑な読後感。

 主人公が「宿屋だけではないんじゃないか」と思った宿場の”女中”が、夜、ある若者の部屋を訪れる。

 ”女中”は、自分がその若者の母親と同年齢であると聞かされる。

 女から一瞬にして母に移動させられてしまう緊張感。

 最後の一言は、私はいらない気がする。

 

  

 不思議に思ったのが文体。

 「思い出」以外の1939年以後の作品は、読点でかなり短く区切る文体になっている。

 何か理由があるのだろうか。

 

 太宰治ファンは多くいらっしゃる。

 何しろ初めての感想なので、まったく見当違いな点はご容赦を。

 

 

 

太宰治「女性作家が選ぶ太宰治」 講談社文芸文庫、東京、2015