週末は都内で仕事なので、今のうちに本箱一掃。

 各巻でなるほどと思ったところだけ、抜き書き備忘録。

 

 

 <第一巻 精神療法入門>

 面接の終わりに「今回の話しあいでどのような感想をお持ちですか」と尋ねる。

 患者さんの自己観察力を強める/確認すること。

 (Kernbergの技法らしい。引用なし。p89)

 

 

 <第二巻 力動的精神療法>

 面接についてBalintは「しみじみとした静かなハーモニー」の雰囲気が重要と述べた(中井久夫訳:治療論からみた退行 1978)

 

 強迫は抑圧だけでなく、防衛機制が複雑。不安が強すぎて抑圧し切れない反動形成、感情の隔離、打ち消しなど。

 だから治療も難しい。(p70-71)

 

 分析家のJ Kotinがあげた精神療法の項目(Kotin J: Getting Started: An Introduction to Dynamic Psychotherapy. Aronson, New york, 1995 )

 暗示、教育、徐反応、洞察(患者が知ること)、成長・心的発達

 → Jaspersと同じ

 

 H ThomaeとH Kaechleの治療経過論

 陽性転移の時期→症状の訴え・治療者への両価性→陰性治療反応・抵抗=母親との否定的関係→失意・うつ・怒り=母親との関係→性的テーマ→勇気・力・敗北・引きこもり・憧憬=父親との関係→失ったものの受け止め=喪の作業 (p76-85)

 

 喪失に対する介入

 「人には気に入らないことも受け入れないことがあるというわけですね」(p105)

 

 抗議への介入

 「あなたが抗議したのはXXの不安に向き合ったからでしょうか」(p132)

 

 転移は抵抗(「転移の力動性」1912、「制止・症状・不安」1926)

 

 陽性転移の影に陰性転移が、陰性転移の影に陽性転移が隠れている(C Brenner 1976)

 陽性転移の際、一緒に動かない治療者への不満で治療者を操作しようとしている。

 陰性転移で批判しつつ、そのような感情を治療者が受け止めてくれると期待しているなど。

 

 フロイトのいう超自我抵抗:自己懲罰として症状が再燃すること(p145)。症状が消えると罪悪感が出てくる。

 

 行動化

 O Fenichel:他者を動かそうとする他者修正防衛の側面がある。自分が変わるのが不安で周囲を変えようとする。

 P Greenacre:前言語段階のコミュニケーション (p148-150)

 → 行動化には話を聴くしかない(p150)

 → 行動化する度に話を聴くとそれを学習するは本当か?:繰り返すのなら患者さんが「わかってもらっていない」不満をまだ抱いている。日頃の面接が不十分と考えるべき。(p152-153)

 

 カタルシスの効果

 感情の抑制解除、自分が受け入れられたと感じる、過去の囚われからの解放 (p169-170)

 → 私の表現なら「自分が理解された」という感覚。

 

 人間が安心したり成長しているときには、必ず喪の作業をしている。(p191)

 

 終結時に行うこと

 発病契機の見直し、これまでの体験の再構成、そして「素因的に規定されたものの受容」(p191-193)

 

 精神科医は窃視欲動を昇華して職業選択しているかもしれない。(p215)

 

 

 <第三巻 精神療法の現場から>

 神経症

 シャルコー:変質説 → ジャネ:脳の脆弱性を基盤にした解離 

           → バビンスキー:暗示         → フロイト:疾病逃避 (p13)

 

 Schluzの神経症説

 外因性異質神経症:環境、生理因性周辺神経症:生活習慣、心因性層性神経症:現実生活の葛藤、中核神経症:子どもの時からの問題(p12)

 → Schneiderっぽい?元ネタになっている?

 

 初期Freudの神経症

 現実神経症:性的不満などの実際の出来事が理由 → 不安神経症はもともとこちら

 精神神経症:精神的葛藤が理由 (p14-15)

 

 恐怖症と強迫(Freud「強迫症と恐怖症」1895)

 恐怖症の根底にあるのは不安、強迫は怒り。(p29)

 

 ヒステリーはいろいろな揺さぶりをかけてくる。(p36)

 → BPDは現代のHYというのは妥当なのだろう。

 

 心気症は「衰えの不安」を念頭においておく。(p40)

 → Rosenfeld 1965は自己破壊不安、S Rado 1956は怒りと傷つきとしている。怒りと傷つきは衰退への反応と考えると納得。

 → 身体感覚、身体性をどうとりあげればいいだろうか・・・

 

 Zw

 Fenichel(1945)はZwの難治の理由を以下あげている。

 防衛機制の特異さ、意識から分離された魔術的人格、深い退行、肛門サディズム、情緒の孤立化、言語と思考の性愛化、自己愛的満足による二次疾病利得、身体化症状 (p47-48)

 → 言葉と思考の性愛化は意味がわからない。

 

 西園先生の意見

 マゾヒズム傾向、他者支配、無意識の罪悪感、論理と感情の分離がある。(p48-49)

 治療では抑えられた「うらみ/攻撃性と罪」をどう扱うかが問題になる。(p51)

 

 神経症圏の入院:入院が利得にならないように、日常とのつながりを意識する。たとえば家族との連絡を密にする。(p71)

 

 

 BPD

 二大特徴:狂気じみた見捨てられ不安、燃えるようなプライド追求(p79)

 → 後者は改善したころに現実に直面するので自殺に注意。(p98)

 

 話し方や言語化が不器用。(p84-85)

 

 育て直すつもりで治療する。(p87)

 

 転勤の多い勤務場所なら最初からそのことを伝えておく。(p94)

 

 Winnicottの「移行対象」をかみ砕いて表現すれば、子どもの相手を出来ない時にちょっとした”ごまかし”で与えるもの。(p100)

 

 治療:母親が赤ちゃんが泣いている時、空腹だからか、おむつが汚れたからか、退屈だからかを区別できるように、治療者も患者さんの言動が、不安だからか、確認しようとしているのか、などある程度区別できるようになること。(p102)

 基本的に本人の体や日常生活に焦点をあてる。

 自己観察力を”育てる”つもりで。(p105)

 

 幻想タイプの患者への対応:

 腹いっぱい、野心や空想を話してもらう。批判も賛同もせず聞いていく。聞かないとむしろ幻想的になる。

 また、傷つきを繰り返してきたであろう対人関係の問題には触れない。

 意見を求められればそのこと自体をとりあげる。(p103)

 → 具体的には書いてないが「ん?私の意見が必要ですか?ひょっとすると、失礼なことを尋ねるけれど、少し自信がない?」などと尋ねる?

 

 頻回な母親の面会:母親も一人になれないのかもしれない。あるいは「良い母」を演じてるのかもしれない。(p134)

 → 単に「過干渉」と説明されるより、なるほどと思う。

 

 うつ

 interpersonal networkで行動する(J Ruesh, 1957)。うつ病者はあまり他人とコミュニケーションをとらず自分で決めて行動する。(p156-157)

 

 執着気質の対人行動の特徴:「貪欲にしがみつく」

 社会では他人に認められたくて自己犠牲的になる。しがみつきが他人への評価を高めるという形であらわれる。

 家では自分のなまの感情が満たされるよう支配する。しがみつきが自分の思い通りにしたいという形であらわれる。(p158)

 

 躁的防衛をしている人は自殺しやすいので注意。(p162)

 

 うつ病治療でもっとも重要なこと:つながりを回復させる。(p169)

 家族が治療に参加することが重要。

 

 躁状態の対応:西園先生の一例:

 「今から町に行くの?何をしに?映画を見に?どんな映画?アメリカ映画?いつごろから観るようになったの?こどものとき?誰といったの?お父さんと?お父さんはどんな人だったの?」・・と話を逸らす。「お父さんとはどんな関係だったの?そう、今日はいい話をした。また話を聞かせてください。今日は遅いので、またの機会に」とする。

 患者さんが求めているのは一体化願望であり、表面の要求そのものではない。だから十分に要求や主張を聴くことが重要。そして、要求を妥当な結果にずらすことを行う。(p173-174)

 

 

 <感想>

 躁の患者さんの根底に一体化願望があることは、今後、注意しておきたい。

 

 本書を読んで気がついたことだが、依存的な人を依存させ過ぎないようにするためには、ただ構造化するだけでは足りない。

 そもそも、患者さんがなぜ過剰に依存するのか。それはかつて十分に依存できなかったからだ。

 だから患者さんが依存性から脱するには「もう十分に誰かに頼った」と思ってもらう必要がある。

 枠組みはそのためにある。闇雲に構造化すればいいのではない。

 ”枠組みの中で十分に甘えてもらう”、そして”もう私は一人でやっていける”と思ってもらうまで支える、そのための構造化なのだ。 

 肝に命じたい。

 

 

 

西園昌久

精神療法入門 中山書店、東京、2010

力動的精神療法 同、2011

精神療法の現場からー実践 力動的精神療法ー 同、2011