つづきです。
鴎外は衛生学、今なら公衆衛生(疫学といった方が通りがいいか)を専門にしていた(らしい)。
鷗外は臨床医ではなかったということになります
白衣の鴎外先生の雄姿。
鴎外先生なら、最近の流行り病についてなんて言うかなあと、しばし妄想。
展示物に戻ると、とにかく猛勉強している。
今と違ってコピーなんてできないし、二度と手に取ることはできないかもしれないという緊張感で本を読んでいたはずで、本当に丁寧に読み、写し、保管している。
学ぶ者、かくありたい。
滅茶苦茶綺麗なノート。しかも保管状態がとてもいい
SNS時代と違って、情報そのものが宝だった。
展示物でなぜこれを?と思ったのが下。
男にしかない臓器に腸が・・・という大変に痛い状態。
鼠径ヘルニア(たけしさんの「コマネチ」ラインの内側に腸が飛び出している状態)の一種。
もちろんパンフから。
別にいいんだけど・・・
展示物になかったけどパンフで見て感動したのがこれ(こっちを展示してほしかった)。
ミュンヘン留学時代、現地で研究をして学会で発表し、論文にしている。
ありがちな遊学なんかじゃなく、本当にしっかりと勉強していた。
さて、帰ろうと思ったら、反対側がもともとの玄関。
まさにここ!
敷石が当時のままとのことで、「鴎外先生!」と胸中熱い想いで、(今回は)三度(以上)往復。
「パパ、早く!」とこども3に叱られました。
玄関前の風景。
崖の上に鴎外邸があるのがわかります。
左手のマンション(?)の向こう側に上野、そして子供たちのいるあたりから海が見えた(のかもしれない)のでしょう。
「二階の(略)縁がわに立つと、上野の森の右に、遠く品川の海をも望みうる」「観潮楼の思い出」
玄関前のすっごい急な階段を下りて、振り返ったところ。
写真右の建物の3階か4階が鴎外邸の玄関の高さということで高低差がわかります。
なお、こども3は斉藤工になりきって、何かに変身しようとしている模様。
当時のこちら側を荷風は「足下を覗くと(略)谷底のような低い処に人家(があり 略 左に上野谷中、右に神田浅草の)市街が一目に見晴され(その雑踏の音が)かのウェルレエルが詩に(以下、すかしていて嫌味なので略)と云ったような心持を起こさせる」「鴎外先生」とお書きになっています。
その後は秋葉原でこども3が何かを無事に退治し、そのまま帰宅。
気のせいか大根おろしと同じ食感のスライムを退治し、
リンゴジュースに似た味がするビア・ジョッキ片手にご満悦
帰宅して地図を見たら、少し南下すれば「青年」の散歩コース(根津と現東大農学部を挟んだ四角形。下のgoogle mapの下半分。仕事でたまーに根津神社前を通るのですが、日本医大の西奥に漱石旧邸があります)を歩けたかも。
あるいは「雁」の主人公の散歩コース(鉄門前辺りから下って昌平坂で引き返し、上野から登って戻る)。
残念。
私の高校はトキオにありましたが、勤勉な(ウソです。地味でオタクな)高校生だった私は通学だけで精一杯で、山手線内の地域のことはよく分からず。
なので、こういうことになる。
気候が良くなってからにします。
左にちゃんと猫がいます
来月、子ども2と訪れる予定です。楽しみ!
文京区立森鴎外記念館 文京区千駄木1-23-4