文章が興味深かった一冊。
魂をめぐって、話題がどんどん横に滑っていく。
垂直に掘っていかない。
ギリシャ、中国、日本・・・と語られる場所がずれていく。あるいは往復する。
しかし、魂の話で一貫しているので、話題そのものはずれない。
大事な何かの横をずーっと滑り続けているような不思議な読書体験。
たとえばp19~20。以下引用。
(略)むすびは魂の行為なのである。
興味深いことに、古代インドでは、日本の場合と反対に、むすびが死の観念に連合している(以下略)
さて、たましひを漢字で表記すれば魂である(以下略)
中国では昔から(以下略)
引用終わり。
冒頭の「むすび」の文は日本が話題になっている。
改行してインドに話題が飛ぶが、「むすび」が日本とインドを繋いでいる。
次に改行して、たましひの漢字表記について2-3行追加される。
この文章はいらないといえばいらない。たましひの漢字表現は皆知っている。
しかし、漢字の話題を(おそらく敢えて)挿入したことで、改行して論じる中国の話にスムーズに繫がる。
さすが詩人さん。
このような言葉の使い方は、ある程度知識があって、しかも話題の芯から逸れない知識を、適切なタイミングで出せないとできない。
最近、仕事がしんどいのだが、このような語り口に出会うと、不思議と頭がすっきりするような気がする。
メンタルヘルス的にちょっと考えたい。
内容について備忘録。
たましいの語源の一つは「玉し火」(p10)
髪の毛は神の毛という説がある(!p14)
むすびは産霊という字を当てるので霊的な生産を表す(p19)
ギリシャのプシュケーは蝶も表す(羽があるからp32 中国でも蝶は霊的存在p33)
日本では蜻蛉(あきつ)が霊的な虫(p34-35)
「ほたるこい」は魂(たま)よばいの唄という説がある(仲井幸二郎先生 p40)
古事記の記載から、千鳥も魂を運ぶと考えられていた可能性がある(p48-50 多くの和歌の解釈が変わるのでは?!)
古代の日本人にとって魂は、根の国、あるいは常世界に向かう(p52)
(「高み」を目指さない)
北欧では、死の神オーディンはHugin(思考)とMuninn(記憶)の2羽の鳥を従えている(p62 死と鳥の関連)
プシュケーは「息を吐くプシュケイン」からきているので、身体的な魂(こころ?)の意味かもしれない。プネウマは「漂う息」なので霊的なものと考えられる(p63)(グノーシス派は天上的な霊魂存在プネウマテイコスと地上的な心魂存在プシュキコスにわけた)
ギリシャでは魂プシュケーのほかに、テューモス(生体内で運動や興奮を起こす、積極的情緒)とヌース(精神、叡智)があると考えられた(p66)
エジプト人は肉体と魂を区別しなかった(p126 エジプト医学、面白いかも)
ほかにも蜂やなど話題は尽きない。
(インドでは蓮華が心臓の象徴らしい。細かいけど蓮華(蓮)と睡蓮と蓮華草って別ものなのですね。私は睡蓮が一番好きです)
ところで本書は「魂」でなく「魂の形」を論じていた。
形について考えることは何を意味するかも、これまた考えたい。
多田智満子「魂の形について」
1000円+税
ちくま学芸文庫
ISBN 978-4-480-51083-9