DVや性が絡む暴力の話には言葉を失う。

 何をどう話してもおためごかしにしかならないという圧倒的な罪悪感と無力感。

 

 そこからどう言葉を取り戻すか。

 

 

 不勉強なことに知らなかったのが、DVと(性)虐待と性犯罪の機序、加害側の意識が異なること。

 その点だけでも、私にとって本書は大変に勉強になった。

 

 

 私は「現場」とか「臨床」を強調する方をあまり信用できないのだが、では「現場にいる」とはどういうことかについて、あまり考えずにいた。

 なんとなく、修羅場をくぐること程度の認識だった。

 もちろんそれも重要だが、そんなマッチョなものだけではない。

 それでは何かが取りこぼされる。

 

 出来合いの言葉をいったん宙づりにすること。

 事例を丁寧に考えること。

 

 月並みだが、これに尽きるのだろう。

 経験年数や経験例数など計測できるものだけではない。

 

 自分の、言葉で、考える。

 

 

 本書は、私が関心をもち続けている「女性の語り」が、事例として、あるいは著者同士の対談自体にちりばめられていた(たとえばp255)。

 

 逆に私たち「男の語り」とその心性が容赦なく、時に戯画化されて指摘されている箇所があり、読んでいてしんどかった(p287-300、308-313 ある社会学者に対する批判は共感。当時、大学生だった私は、自分の姉妹のことを想起して違和感を抱いてたからだ p99-100)。

 

 フレッシュマンだった当時の私は典型的な「男の語り」をしていて、よく注意された。

 当時は反発していたが、今は先輩方が正しかったと思っている。

 しかし、残念だが、今の年齢で修正することはもはや難しい。

 また、なまじ年齢があがると、注意してくださる方もいなくなっていく。

 

 自分の限界を受け入れて、その上でどうお役にたつかを考えるしかない。

 

 

 少し内容に触れるならば、共感についての議論に「共感」(p40、145、317)。

 また、フラッシュバックの意義は目から鱗だった(p232-235)。

 

 

 メンタルヘルスに関心のある方なら必読。

 

 

 

 

信田さよ子、上間陽子「言葉を失ったあとで」

1800円+税

筑摩書房

ISBN 978-4-480-84322-7