家族全員で鑑賞。

 鑑賞後、子供1との会話。

 「あれ?細田監督、もう引退するの?!」

 

 そのココロは・・・・・以下で。

 

 ネタバレしますので、未見の方は絶対にお読みにならないように

 

 極力、露骨に書きませんが、それでも分かっちゃうと思います。

 それに物語にサスペンス的な要素があるので(←この記載とタイトルも少しネタバレ)、がっかりされるかもしれないので。

 

 

 

 

(始めます。ネタバレしますので、未見の方はここでスクロールを止めてくださいまし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、これまでの細田映画要素が満載。

 

 高校生たちの何でもない生活の丁寧な描写 → 「時をかける少女」

 主人公(たち)が川べりを歩くシーンが多い → 同上

 色黒男子と色白男子と女の子という三人関係 → 同上

 

 ある男子、主人公を「お母さんのように」見守っている。 → 「おおかみこどもの雨と雪」

 主人公がある子供達を守るために、父親の前に<母親のように>身を挺して立ちはだかる → 同上

 

 ネットに詳しい友達のバックアップで、自然の多い地方で大活躍 → 「サマー・ウォーズ」

 ネット環境が第二の舞台 → 同上

 

 片親がおらず居場所のない主人公 → 「バケモノの子」 (この指摘は子供1。私は気づかなかったです。ありがとう!子供1!)

 ある子供の風貌や着ている服が九太っぽい → 同上

 

 親子(母娘)関係が大きなテーマ → 「未来のミライ」

 兄妹(兄弟)関係が重要な要素 → 同上 (これも子供1に指摘されました。ありがとう!その2、子供1!)

 

 クジラは「バケモノの子」かと思ったら、それもありそうだけど舞台が高知だからではないかと。

 おお、なるほど。この指摘は妻です。さすが!わが妻!

 

 という訳で、細田監督。自作を振り返るようにまとめていて、もう映画作るのやめるつもり!?みたいな感想に子供1となったわけです。

 

 

 細田映画らしさも満載。

 色彩の独特さ、カットを多用しかつテンポが良くて、いろいろな出来事が同時に起きていることの見せ方の心地よさ。

 思春期の登場人物たちの姿勢や動きのリアリティーとデフォルメの塩梅がちょうどいい。

 背景が美しく、ああ四国の山沿いかなと説明なしで何となくわかるような描きこみ(私はお遍路をしたことがあるのでまだしも、旅行番組好きだけど実際に四国に行っていない妻も、台詞や画面でヒントのない段階で分かったと申しておりました)。

 

 一方、今回、新しいと思ったのが、前半、ほとんど台詞がなく、絵だけでしっかり物語を見せようとしていること、それからラスト近く、主人公のすずが歌う時の彼女のアップで、細田監督特有のデフォルメ(なで肩、細い体、口が大きめ)が抑えられて比較的リアルな女の子の絵になっていたことでした。

 

 確かにネットでご批判されているような「PVのよう」に見えなくもないところはあります。

 私も、うん?millennium paradeのPVかと思わなくもなかった箇所はありました。

  

 ただ、冒頭以後の展開が面白かった(ところで、初めて竜が出るシーンのチェロ。絶対、常田さんのチェロですよね!!← ただの私の妄想)。

 

 

 

 ネット環境のU(これは分かりやすくyouですね)に入ると、AS(これはusですやね)としてアバターができる。

 Ozより進化しているのが、U内でも身体感覚はそのまま(「深部感覚まで」といっていたので振動感覚や温感、痛みも「オリジナル=本人」と同期するはず)という、今よりちょい先な設定。

 

 

 前半のテーマの一つはネットの怖さ。

 Lineいじめ寸前になるシーンや、SNSの発言が匿名性により攻撃性や悪意が増幅されていくことが可視化される。

 その薄気味の悪さ。

 

 で、もう一つが居場所をなくしている女の子の居場所探し。

 

 主人公のすずが飼っているワンちゃんは片足を怪我しています。

 彼女と同じくワンちゃんも<傷ついて>いて<前に進むことが覚束ない>。

 

 すずはお母さんから歌を歌う楽しさを教えてもらうけれど、お母さんは、雨の日のキャンプ場(?)で川が濁流となり中州で動けなくなった子供を助けて、そのまま帰らぬ人になってしまう。

 それ以来、すずは(おそらく)「お母さんは私を置いて、他の子を助けにいった」「私のことなんか、なんとも思っていなかったのではないか」という気持ちを抱いて苦しんでいた(と思われます)。

 

 

 

 真ん中はすっとばしますがいくつか。

 

 ツボだったのがネット自警団みたいな連中。

 石森章太郎風(特に女性(?)の横顔とか)なのですが、それはともかく、彼らのリーダーが登場すると、一々、スポンサー広告がポンポンと出てくるところ、笑えました。

 スポンサーという後ろ盾がないと正義を主張できない肝の座っていない様、あるいは経済的理由と正義を主張する行為が絡まっているインチキ臭さ。

 

 あと、竜の正体がアンフェアというご指摘があるようですが、まま、別に推理モノではないですしね。

 現に子供1は気づいたと言っていました。私はぼんくらで気がつきませんでした。

 鑑賞後、「お父さんが、どこで気がつくかなと思っていたよ」と言われました。

 

 例の動画(インタビュー映像。無表情な兄。おそらく何か障害をかかえている弟。そして、過剰なまでに幸せを強調する父)は私も印象に残っていたので、細田監督は観客側に何かを感じさせる演出はしていたわけです。

 私は見当違いにも、しのぶ君の過去の映像?と思っておりました・・・・。

 

 あのエピソードは伏線がありましたね。

 おばさ・・・・失礼・・・・美熟女五人組のお一人が「海外留学で好きになった男の子がいた。その子は中学生で音楽のプレゼントをした」と。

 すずも歌い、相手の子は中学生(と言っていた気がします)でしたから。

 

 あとあの五人組が出てくる意味が分からんというご意見をネットで読んだのですが、え、おそらくあの狭ーいであろう町なら、すずの事情なんて皆、分かっていて、そんな彼女を見守る母親のような叔母さんのようなお祖母ちゃんのような存在だったのであろうことは想像に難くないではないですか。

 職業だって、漁師、農家、酒屋、大学の先生、お医者さん。

 要は、食べ物を取る/作る人、食べ物を売/買する人、教える人、助け支える人。

 これ全部、わかりやすーく、いわゆる<お母さん>機能を分解しています。 

 いや、そんな描写ないよって、それは別に描かなくてもいい所ですよね(てか、すずが東京に行くと言い出した時にあの五人の誰かが「すずちゃんならやる(言う?)」と言っています。すずの性格をよく知っているということですね。それだけで十分)。

 すずがどうして道を大きく逸れずに高校生まで生活できたのか。

 本人は気がついていないだろうけど、ああやって誰かに見守られてきたからですよね、きっと。

 距離感がいい塩梅なお父さんも含め。

 

 すずのお父さんもいい。

 控えめに声がけする。

 いつも困ったような表情で娘を見守っている。

 ときどき掠れるあの声、聞いたことあるけど誰かなあと思っていたら、私的には<上司にしたい人No1>の役所広司さんでした。

 あのお父さん、真似できないなあ・・・・と、しんみりです。

 

 あとルカちゃんとカミシンくんも初々しくてよかったなあ。

 

 

 

 で、後半。

 この映画の重要なテーマだと思うのですが、母親との和解/理解。

 アバターを捨て<自分自身>としてU内で歌うすずが、はっと母親のことを思い出す(確かそういうシーンがあったような。すいません、記憶改変かも)。

 そしてお母さんの気持ちを理解する。

 

 人は、誰かを助けるために、そのつもりが無いのに結果として何かを<捨ててしまう>ことがある。

 お母さんは私を意図して<捨てた>のではない。現に私もお母さんと同じことをしている。

 自分のほとんど唯一の居場所を結果として<捨ててしまって>、名も知らぬ子を助けようとしている。

 お母さんも、今の私と同じ気持ちだったんだ。

 (で、同じ条件、雨の中、川(すずは多摩川駅近く)で、名も知らぬよその子を救う)

 

 号泣です。隣の妻も号泣中。

 

 自分の子供の安全は確保されている。

 で、自分の子供と同じ年恰好――件の子、すずとほぼ同じ年齢、しかも性別まで同じ――のよそさまのお子さんが危険な状況にあると、瞬間的に我が子と重なって体が動いてしまうかもしれないことは、親として体感として分かります(特に子供が幼い時)。

 あるいは、すずのお母さんはとても利他的な方だった。

 

 だからこそ、お父さんのメールに泣ける。

 あのお母さんに育てられたから、お母さんのように人のために動いてしまう。

 君はまぎれもなく<あのお母さんの娘>なんだよと。

 

 

 細田監督はネットの良い点も描きたかったとインタビューでおっしゃっていますが、後半がそうなのでしょう。

 多くの情報によって「困っている人をすぐに助ける」ことが可能なツールになる。

 ただ、条件がある。

 匿名性を捨てること。これは良く指摘されます。

 

 もう一つ。

 PCやスマホの前で座っていては何も起きない。

 最後は、人が、具体的に、行動すること。

 

(7月26日追記:

 この映画、いろんなご批判があるのですね。

 どのようなご感想があってもいいと思うのですが、一つだけ。

 私的にうーんと思ったのが<虐待>についての御指摘。

 あの映画、虐待にどう対応するのが適切かという映画でしたっけ?

 

 困った人が目の前にいる。その時に体が動いてしまう。

 そういう利他性を描いていると思うのです。

 そして、それは「正しい/適切か」か「正しくない/適切でないか」と別次元だと思います。

 

 私が思うに、そもそもすずのお母さんの行動が実は「適切ではない」。

 まずは周囲に援助を求め、かつライフジャケットを2つ持っていくべきだった。

 彼女は自分しかライフジャケットを着ておらず、おそらくそのジャケットを女の子に着せて、結果、ご自分は流されているのです。

 つまり、お母さんの行動は、残念ながら「考えが足りていない」。

 その血を受け継いだすずの行動も、同じように「浅はか」です

 

 私的には「すずの行動は実際は適切ではない。それはお母さんと同じように」と、ちゃんと伏線が張られていると思います。

  

 ただ、「にもかかわらず」です。

 重要なのはPC画面の前で何もしないでいるのではなく、実際に行動すること(”現実的には”行政をうまく使うことも含めてですが、そういうことを描く映画かなあと・・・・)。

 ちょうどネットで「眺めているだけ」と逆に、です。

 

 まま、私の読みの浅い感想なので・・・・)

 

 

 

 

 いい映画でした。

 

 

 子供1は自分のお金でまた見ると言っております。

 私もいくぞよ。

 気になるんだよ。

 ヒロちゃん(声はYOASOBIのVo.の方)のパソコン横に美術の本があったとか(Banksyとか)。「山月記」も置いてあったような。

 あれ、何かな。

 

 

 あ、細田監督の「美女と野獣」オマージュですが、ディズニー版です。

 私はオタク魂でボーモン夫人版を予習しておりましたが、筋が違っていました。

 LDまで持っていたディズニー好きな妻の説明を聞いておいてよかったです。

 野獣の城が村人ならぬ、正義のなんとか連中の焼き討ちにあうとか。

 それとBell(e)の唇や目の動きはディズニーアニメっぽくしていて、絵柄は別にして動きだすと魅力的でした。

 

 一つだけ注文。ネットと現実の落差が・・・。

 もしUが日本だけのアプリという設定なら納得しましたが。

 まま、こういうバランスがアレなところも細田映画です。

 

 

 最後にしのぶ君!

 何を<忍ばせて>いるのかと思っていたけど、そっちだったか・・・・

 おじさんは、最後の台詞にやられたよ。

 

 

 

 

 

 

細田守監督「竜とそばかすの姫」    日本公開   2021年7月